大学生の時に気づいて良かったこと〜「手を尽くす」というマインド

 

先日、高校時代に気づいて一番役に立っていることとして「アドバイスとどう向き合うか」を学んだと書きましたが、大学時代を振り返ると、この種の学びで一番大きかったのは「手を尽くす」という考えを教えてもらったことだった気がします。

これにも本当に助けられました。

当時の僕は大学2年生。通っていた慶應大学のSFC(湘南藤沢キャンパス)では1年生からゼミに入ることができ、僕は2年生に上がるタイミングで「データ分析(正確には計量経済学)」のゼミに入りました。

このゼミはとても厳しいことが有名でしたが、ゼミに入る前に聞いた(現役生による)発表会に刺激を受けての参加だったので、僕自身とても気合いが入っていました。もうね、めっちゃ気合いが入っていました。「すっごい研究をやるぞ!」って。

このゼミはSFCの中でも挑戦を重視していて、1年生でも2年生でも全員に半年ごとに一本の論文を書くことを求めていました。全員がそれぞれに(データ分析の)研究をしてそれを学期の最後の外部も招いた(ミニ)カンファレンスで発表するスタイルでした。

この教育方法については色々な意見がありますが(僕はSFCの特殊性を考えるとpositiveに捉えています)、当時の僕はまんまとこの教育法に乗せられて「すっごい研究をするぞ!」と、持て余していたエネルギーをすべてそこに注ごうとしていました。

ゼミの形式は、隔週で自分の発表があってそこで進捗を報告するとともにフィードバックをもらう形式でしたが、最初の1ヶ月半くらいは「テーマを決める→先行研究を読みまくる→リサーチクエッションを立てる」という手順で進みます。

ここでも色々と事件が起きますが(最初の発表で場を氷つけて大変なことになってしまいました。笑)、一応それなりに順調にリサーチクエッションを立てるところまでやりました。

いいかんじのリサーチクエッションと、実験計画を作るところまでいきました。ここまでは良かった。実験計画を作るところまでは、純粋に自分の頭を使うだけのプロセスなので、僕の性格にすごく合っていた。すべてを自分の頭の中でコントロールできた。

しかし、次の「実際に実験をしてデータを生成する」というプロセスは被験者にやって頂くことなので、自分ではまったくコントロールできない(というか、してはいけない)。だけど、このコントロールできないプロセスに最終的な成果が依存している。

当時の僕はこれがマジで怖かったです。本当に気合を入れているプロジェクトにおいて他人に任せるしかない部分がある。もっといえば他人に任せるしかない部分が全体の命運を握っている。

これは不安で、ゼミの先生に(実験に関するいくつかの細かい相談とともに)「正直不安です」みたいなメッセージを送りました。すると先生は丁寧な返信の最後に、

「手を尽くしましょう」と送ってきてくれました。「手を尽くしましょう」の一文、これが僕にとってとても大事な言葉になりました。大学時代にもらった言葉の中で一番の金言だったと思います。

このメッセージを見たときに、「あぁそうだよな。手を尽くすしかないんだよな。というかそれ以上のことは何もできるわけないんだよな」と思い、不安な気持ちはかなり軽減されました。

その後は淡々と実験の準備などを進めていき、幸運にも実験は上手くいきました。ただ、正直結果はどうでもいいんだと思います。もしかしたら実験は失敗になったかもしれないけど、それはどうしようもないこと。結果どうこうではなくて、不安になってしまう場面に対して「手を尽くす」というマインドで臨めたことが大事だったなと思います。

このゼミは1年間でやめてしまいましたが、その後の大学院入試など色々不安になる場面において、「結局手を尽くすことしかできない。不安になりすぎて意味不明な自爆行為はしないようにしよう」と思えるようになりました。

「手を尽くす」というマインドの一番の効用は、不安が強いときに、反則やずるのようなやってはいけない行為を間違ってやってしまったり、イライラして人間関係を壊したりしてしまうのを防ぐことだと思います。

振り返ると、当時の自分は必死だった気がします。意味不明なくらいに必死だった気がします。でも、だからこそ響いた「手を尽くしましょう」。先生に感謝しながら今度も大事にしていこうと思います。

Fin.