松井先生コアミクロの補足:なんでacyclicityを考えるの?
選好に関する性質として、completeness、transitivityの他にacyclicityという条件が松井先生のミクロ経済学の授業ではよく紹介される。去年授業を受けているときにはこの条件がなぜ大事なのかさっぱり理解できなかったので、今回はacyclicityを授業で扱う気持ちについて書いてみたい。
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まず、Transitivityはとても自然な条件ではあるが、以下の有名な例を考えると少しやりすぎなところもある。
壁紙の色を考える。いまから壁紙の色に関する選好を考えていく。表記として、%白色の壁紙を"
"と表して、
%黒の壁紙を"
"と表すことにする。例えば"
"という壁紙は
%白くて微小に黒い壁紙を表すことになる。人間の認知能力を考えられば"
"と"
"では無差別と考えるのは自然だろう。また、"
"と"
"を比べるとこれも無差別とするのは自然だろう。つまり、
と
であるような選好は割と自然な選好である。同様に続けていくと
、、、
と考えるのは自然である。加えて、
と
に注目すると"
"を想定するのも自然な選好である(別にそういう選好の人がいるのは普通である)。
しかし、上の自然なかんじの選好はTransitivityを満たさない。なぜなら、もし選好がTransitivityを満たすならば、、、、、
が成り立つときには、必ず
も成り立つ必要があるからだ。
このような少しトリッキーな例を考えると「Transitivityを少し弱めてもいいかな」という気がしてくる(上のケースにおいてTransitivityを課すのはそれなり大変かもなという気はしてくる)。するとTransitivityを弱めた条件としてquasi-transitivityという条件を考えたくなる。
Transitivity:
Quasi-transitivity:
違いは、を用いているか
を用いているかである。
Quasi-transitivityが求めるのはが
より厳密に望ましくて
が
より厳密に望ましいときに
が
より厳密に望ましくなってねということであり、Transitivityとは異なり、
と
が無差別で
と
が無差別なときに
と
が無差別であることは求めない。
したがって上の例のような選好を考えたとしても(正確にいうと上の議論においては選好の特定化までは行っておらず,i.e., 99と80の比較などについては特定していないが、先ほどの議論の部分に注目するとTransitivityは満たされていなかったが)、Quasi-transitivityは満たされることになる。Quasi-transitivityは、上のような例にも対応できるようにTransitivityを弱めたような条件である。そしてそれをさらに弱めたのがAcyclicityである。
Acyclicity:
]
この条件は次のように書き直すこともできる。
Acyclicity:
]
Transitivityを弱めた条件としてQuasi-Transitivityがあり、Quasi-transitivityを弱めた条件としてAcyclicityがある。よってAcyclicityはTransitivityより弱い条件である(この意味としては、どんな選好であれTransitivityを満たすならばAcyclicityを満たすが、Acyclicityを満たすがTransitivityを満たさない例が存在する)。
なお、Acyclicityの「サイクルが発生しない」という気持ちをダイレクトに表すという意味では前者の定式化が分かりやすいと思うが、Quasi-transitivityがAcyclicityをimplyすることを確認するにはAcyclicityを後者の形で書き直しておくと分かりやすい(Quasi-transitivityと形がとても似ているのが見て取れる)。
ここまでで、有名な例を紹介しつつ、TransitivityとQuasi-transitivityとAcyclicityの関係を紹介した。ここからは本題のacyclicityが重要な理由を見ていく。
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実はacyclicityは、"選好からchoice function*1を構築する"という文脈に大きく関わっている。上の選好
について、
の非空部分集合
を考える。ここで
を
と定めることにする。
はどういう気持ちのものかというと、
という選好を持っている人が
から選択するときに、選び得る選択肢の集合というかんじである。
例えばとして選好
として
で表されるような選好を考える。この場合は、
とすれば
となるし、
とすれば
となる。
このようにしてという概念を用意すると、実は
が有限集合であり、
がComplentenessを満たすという想定のもとでは、
の任意の非空部分集合
について
が空にならないことと、
がacyclicityを満たすことが同値になる。
すなわち、その選好からchoice functionを構築できる(すべてのについて空ではない
をちゃんと指定できる)こととacyclicityの条件が同値になっているのである。
が有限で選好がcompletenssを満たすとき、transitivityがあればchoice functionを構築するのには困らないが、acyclicityまでtransitivityの条件を弱めてもchoice functionを構築できるわけである。なお、Xが有限でない場合にはcompletenessとtransitivityがあってもchoice functionを構築できないこともある(例えば
を考えて選好として数字が大きいときに厳密に好むようなものを考えておく。すると、
を考えると
になってしまう)。
また、の代わりに
という
と定義されるものを考えると(
と気持ちはほとんど同じであり、実際に2つの概念はcompletenessのものでは一致する。こっちの気持ちとしてはどんな
にも厳密には負けない選択肢の集合というかんじ)、
が有限のとき、どんな
の非空部分集合
についても
が空集合にならないことと
がacyclicityを満たすことは同値になる(つまり
を考えることにすると
のときには前提として課していたcompletenessも必要なく空にならないこととacyclicityが同値になる)。
このように"choice(選択)"という文脈に注目すると(を考えにせよ
を考えるにせよ)必要十分条件になっているという意味でacyclicityの重要性は際立ってくる。Acyclicityは分かりづらい条件ではありますが、このような観点から授業で扱っているのではないかと思います。
最後に補足的な情報を書いておく。上で考えたという集合と
という集合は選好がCompletenessを満たすときには等しくなる。Completenessの下では、
と
が同値になるからである。なお、一見間違いそうな点として、Completenessの下でもQuasi-transitivityとAcyclicityは同値にならないことにも注意(例えば
として、
で表される選好を考えれば、この選好はCompletenessを満たし、Acyclicityを満たすがQuasi-transitivityは満たさない)。
Fin.
*1:上のchoice functionは、関数
で任意の
について
を満たすものとして定義している。ここで
は
。