学問に対する向き合い方のシフト

M2になってから意識的に学問に対しての向き合い方を変えてきて、なかなか難しさもあったけど、新しいステップに入った気がするのでそれについて書いてみようと思います。ただ、以前にも大きく向き合い方が変わった瞬間があって、今回の変化を語る上ではそこも大事なので3段階に分けて振り返ってみます。

小学校〜学部2年

このあたりは全部同じ。「学問」っていう概念が自分の中になかった。

例えば高校生のときって英語もやるし、古文もやるし、数学もやるし化学もやるし、世界史もやるし、みたいなかんじで「自分はこの世にある重要な知恵に満遍なく触れている」みたいな感覚になっていたのかもしれない。「自分にはまだ触れたことすらない学問が大量にあるんだ!」とはなっていなかったと思う。

また、授業で習う1つ1つの概念にしても特に何の吟味もしておらず、「よく考えるとこれを最初に思いついた人やばいな!!」みたいに感動した記憶はあまりない。個人的には教科書にも問題があると思っているけれど(それぞれのアイディアの「感動ポイント」が分かりづらいと思う)、自分の実力的にも表面的な部分しか捉えられなかったんだろうと思う。

学問の広さも、1つ1つの概念のすごさも、何も分かっておらず「学問」に出会う前ってかんじ。この時期は、何も見えていない時期。

学部3年〜M1

学部2年のときに計量経済学のゼミに入ったあたりから、「え、このアイディアめっちゃ面白い、これ考えた人天才じゃね」みたいに感じることが少しずつ出てきた。

また、「どうやら計量経済学だけではなくてミクロ経済学という分野も経済学にはあるらしい。そしてミクロ経済学をやるには微分とか積分とかの知識が必要らしい。しかもそれをちゃんとやるには論理を学ぶ必要もあるみたいだ。」みたいなかんじに学問の広さについて理解できるようになってきた。

そうやって少しずつ学問の輪郭に触れる経験を重ねていたある日、「あ、これはもしかしてヤバいかんじ?」と気づく瞬間があった。経済学に限っても、すっごい濃密な内容がすっごい広範なトピックについて蓄積されていることに気づいた瞬間に、突然、「学問」ってものが目の前に現れたかんじ。

これが学部3年くらいのときで、そこからはただただ目の前に現れた「濃密かつ広範に蓄積された知恵(学問体系)」に圧倒されながら勉強していった。これが1回目のシフトであり、この時期は、目の前に現れた「学問」に目を奪われている時期。

M2

M1のときは依然として膨大な知恵に圧倒されたままだったけど、大学院の授業ですごくユニークな宿題に触れたりする中で、「自分の手で知恵を創り出す面白さ」みたいなものが存在すると少しずつ分かるようになってきた。

また、学部生のときには大学院生というのは色々なことをちゃんと理解しているのかなと思っていたけど、実際に自分が大学院生になってみるとまるでそんなことはなくて、「そもそも全部の内容を勉強するのは到底無理に決まっているじゃん」と気づいてきた。

その辺りの背景から、M1の終わりくらいになると、永遠に「お勉強」ばかりするのではなく「知恵を創り出す」方向にシフトさせていくのはかなり重要だなと思うようになった。

そのシフトを試みる上で幸運だったのは、M2の春学期に受けた2つの研究のための少人数授業。どちらの授業の先生も論文をproductiveに書くタイプだったこともあり、「自分で知恵を創り出すってのはこういうことなんだ」と解像度の高いイメージを持つきっかけとなった(また「そこは細かいこと気にしすぎです。productiveになりたいならあまりその辺の細かい定式化は気にしない方がいい」みたいなアドバイスを受けることで、精読と流し読みのバランスなどシフトしていく上で重要な能力もいくつか身につけることができた)。

そして、この瞬間もよく覚えているのだけど、春学期後半の租税競争の授業のタームペーパーを書いているとき(余談だけど、このタームペーパーはちょっと夢を追いすぎてしまい研究としては上手くいかなかった。逆に春学期の前半に書いた社会的選択理論のタームペーパーは研究としては上手くいったけどテクニカルで夢はあまりないかんじになった。振り返ると両方試せたのはすごくよかった)、「自分がいま数式と文章を書き込んでいっているこのファイルの上で知恵が出来上がっていっているな」という感覚になった。手元で知恵が出来上がっていく感覚。

このときに「あ、ここに基本となる視点を移せばいいんだな」と思った。それまでは目の前に現れた「学問」に目を奪われていたけど(そこから視点を移せずにいたけど)、これからは自分の手元に現れた「知恵を創り出すスペース」を起点にすればいいかんじかも、依然として目の前にある「学問」については適宜参照するかんじにしようと思った。

 

目の前にある「学問」にばかり目を奪われていてはいけないなと思ったところでどうしたら良いかよく分からなかったが、自分の手元に「知恵を創り出すスペース」が実感を伴って現れてくれたことでちゃんとシフトができたように思う。これが2回目のシフト。

振り返ると

今回のシフトを経てから振り返ると、学部 3年生からM1のときには大量の知恵の海に溺れていたという表現がぴったりだと思う(それはそれで勉強は楽しかったけど)。でもいまは、少しずつ自分で泳ぐってことが分かってきた。まだバタフライはできないけど(すごい研究とかまともな研究はできないけど)、スーッと水の中で前進するのって気持ちいいんだなと分かってきたかんじ。

 

こうやって振り返ってみると、前のパラダイムから脱却する基礎となる気づきが少しずつ積み重なっていって、そしてある時、「あ、これだ」みたいに、ある意味では視覚的に新しいパラダイムがどういうものか気づく瞬間(学問が現れた瞬間/ 手元に視点が切り替わる瞬間)が訪れてるという流れで変化してきたことが分かったのも面白かったです。次はどんな変化が起きるか楽しみ。

 

Fin.