僕は経済学研究科に所属する大学院生です。
ただし経済学の中でも特殊な領域を専攻しており、「どんな社会が”良い"社会か?」「”公平な"資源の配分とは何か?」など哲学的な問いを扱っています。
この記事では、初歩的な数学以外は前提知識なしに、社会的選択理論(経済学の一分野。社会についての哲学的な問いに対して数学でアプローチする)のイメージを共有してみたいと思います。具体的にはより細かいテーマとして最近取り組んでいるPopulation Ethics(人口倫理)について取り上げます。
Population Ethicsのモチベーションを紹介しながら、Ng(1989)によって示された不可能性定理を証明も含めて説明します。
「数学をこんな問題を考えるのに使っているんだ!」「経済学の中にはこういう領域もあるんだ」みたいなことを共有できたら嬉しいです。
長い旅にはなりますが、ぜひ経済学の中でも特殊な世界を覗いてみてください。
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社会の構成員全員が少しだけ幸せである、
そんな社会を思い浮かべてみます。
衣食住には困らないけど、たまに孤独を感じたりすることはあって、人生に満足してるか聞かれたら少し迷いつつも「満足してるかもしれません」みたいに答える。
そんなかんじでしょうか?
次に、ほぼ全ての構成員がとても幸せだが1人だけすごく不幸せな社会を思い浮かべてみます。すごく不幸せな1人を想像するのは悲しいので描写はしませんが、まぁそういう社会を想像することはできそうです。
では、いま思い浮かべた2つの社会を比べたときにどちらの社会の方が望ましい社会でしょうか?
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「全員が幸せな社会」と「全員が不幸せな社会」の比較なら簡単そうですが、これはなかなか一筋縄ではいかない問題のように思えます。
どのような社会状態が良いかを判断するルールのことを”価値判断基準”と呼ぶことにすると、「望ましい社会状態とは、人々の幸福の合計が高い社会状態である」という価値判断基準はまず1つ有力かなと思います。この考えはUtilitarianismと呼ばれます。
また、「望ましい社会状態とは、その社会において一番不幸せな人の幸福度が高い社会状態である」という価値判断基準も有力なものの1つです。この考えはMaximin(一番低いMinを一番高くMaxにするというニュアンス)と呼ばれます。
他にも色々な価値判断基準が考えられますが、
•どのような価値判断基準を採用すると良さそうか?
•我々が価値判断基準に関して満たしておいてほしいと思う性質は何か?
•(有力であると思われる)複数の価値判断基準があった際にそれらの差異はどこにあるか?
などについて考えてみるのは大事そうです。
こういう問題について日常的な言語を用いて分析しても良いのですが(実際にそれも重要ですが)、非常にクリアな言語である数学を用いることで思わぬ発見があったりするので、数学を用いてアプローチしていこうというのが今回やりたいことです。
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どのような価値判断基準が望ましいかなどを考えていくにあたって、まずはそもそもの話として"価値判断基準”という概念に数学的な定義を与えます。
例えるなら「どういうゲームのルールが望ましいかを考えるために、そもそも”ゲームのルール”とは何かを定義しよう」みたいなかんじです。
価値判断基準の定式化にはいくつか種類がありますが、まずは標準的定式化(not Popolation Ethicsにおける定式化)を紹介します。その後にPopulation Ethicsにおける定式化を紹介します。それでやっとPopulation Ethicsにおける価値判断基準の具体的な性質などについて考える舞台が整うというかんじでそこから本題の不可能性定理に入っていきます。
"価値判断基準”という概念の標準的な数学的定式化
いまから色々準備しながら「価値判断基準」という概念に数学的な定式化を与えます。
まずは設定について考えます。社会にはさん、さん、、、、さんと呼ばれる、人の個人が存在するとします。この人数は何かしらので固定されておりこれは動かないとします。
そして例えば (の時には)ベクトルを「さんがだけ嬉しくて、さんがだけ嬉しくて、さんがだけ嬉しい社会状態」と解釈することにします。
より一般的には、次元ベクトルは「さんの嬉しさがで、、、、さんの嬉しさがの社会状態」と解釈することになります。
こうすると、先ほど出てきた「全員が多少幸せな社会状態」と「1人以外はとても幸せだが1人だけめちゃくちゃ不幸せな社会状態」の比較は、
「ベクトルとベクトルのどちらが望ましいか」のようなベクトルの比較の話に落ちてきます(具体的な数値はテキトーに決めました)。
なお、という嬉しさの数値が具体的にどの程度の幸せであるかについては今回は考えないことにします。またそもそも幸せとは何か、幸せをどう測定するかなどについても今回は立ち入りません。人々の幸せの情報がベクトルとして取得できるとした上で、どのベクトルがより望ましいかを判断するような世界観です。
いま、とというベクトルの比較を考えたいという話をしましたが、実際にはこの2つ以外のベクトル同士の比較もしたいわけです。
我々が考えたい「社会状態全体からなる集合」をという記号で表すことにすると、これは次元ベクトル全体からなる集合となります。
つまりという記号は集合を表しており(”集合”というのは箱のようなものです)その中には、やに限らず他にものようなものも含めて全ての次元ベクトルが入っています。
ここまでの準備のもとで、(標準的な文脈における)価値判断基準とは「の任意の2つの要素(つまり任意の2つの次元ベクトル)が与えられたときに、どちらの方が望ましいか(もしくは同等に望ましいか)を判断するルール」というかんじに次のように定式化されます。
厳密には二項関係という概念を用いるのですが今回はそこには立ち入らずに少しふわっとした定義をしますが(そして関数っぽいニュアンスで書きますが)、
(標準的な)価値判断基準とは、
どんなつのの要素が与えられても、、、のいずれかを返すルールのことである。
と定義されます。
ただし、はの方がよりも厳密に望ましいという意味で(も同様)、は同等に望ましいという意味で使われています。
これで、標準的な文脈における価値判断基準の定義ができました!
定義をみるとわかるように「価値判断基準」という概念自体には、どんなつの次元ベクトルに対してもを割り当てるようなもの(どんな社会状態でも同程度望ましいと判断する意味の分からないもの)も含まれていることに注意してください。一見するとくだらない価値判断基準でもよく分析してみると良い性質を持っているなんてこともあるかもしれず、「価値判断基準」という定義の段階では非常に広く定義しています。
社会的選択理論における標準的な(or 古典的な)領域においてはこのように価値判断基準という概念を定式化した上で、具体的にどのような価値判断基準が望ましいかなどについて議論を進めていきます。
しかし今回はそこには入っていかずに、いまやった定式化とは異なるPopulatin Ethicsにおける「価値判断基準」という概念の定式化を紹介した上で、そこで定式化したPopulation Rthicsにおける「価値判断基準」について具体的な性質やデザインについて話を進めていきます。
Population Ethicsの視点
先ほどの話においては前提として社会を構成する個人がさんからさんで固定されていました(社会を構成する人数がある自然数で固定されていました)。そういう舞台の上で価値判断基準という概念を定式化したわけです。
このような定式化で基本的には問題ないのですが、実は子育て支援政策などについて考えたい場合には少し問題が発生してしまいます。
というのも、積極的に子育て支援をした場合には将来生まれてくる日本社会の構成員は増えると予想されますが、あまり子育て支援をしなければ将来生まれてくる日本社会の構成員は少なくなると予想されるからです。現在の選択によって、(日本)社会を構成する人数が変わってしまうわけです。
こういう社会的イシューについて考える場合には、「現在この社会がという選択肢を採用すると将来的に生まれてくる人数は100人でその全員が50だけ嬉しい状態が実現しそうだが、という選択肢を採用すると将来的に生まれてくる人数は200人で全員が30だけ嬉しい状態が実現しそうだ。どちらの子育て支援政策が良いだろうか」みたいな判断をする必要があり、
先程定式化した、(例えばなどで固定されたについて)次元のベクトル同士を比較する価値判断基準の概念では役不足です(今回のような問題において求められる社会状態に関する価値判断比較をしてくれません)。
子育て支援政策に限らず未来について大きな影響を及ぼす多くの社会課題(限られた資源の配分や地球温暖化対策など)について考えるようとするとこの問題が出てきてしまいます。
これでは困るので価値判断基準という概念を(社会を構成する人数が変化する場合も含めて扱えるように)上手いかんじに定式化し直したくなってきます。
Population Ethicsにおける"価値判断基準"の定式化
先ほどはという記号で、(ある固定されたについて)次元ベクトル全体からなる集合を表ました。これが先ほどの定式化において考える「考えるべき社会状態全体からなる集合」だったわけです。
今回は「考えるべき社会状態全体からなる集合」をという記号で表すことにします。そしてこのがどういう集合かというと、「有限次元のベクトル全体からなる集合」とします。
つまり、という集合(箱)には、ややなど次元が違うベクトルたち要素として入っているわけです。数値(実数)を有限個並べたものであったらなんでもいま用意したという箱に入っていることになります。
こうすると社会を構成する人数が違う社会状態同士の比較が可能になる準備が整いその上で、
Population Ethicsにおける価値判断基準とは、
どんなつの有限次元ベクトルが与えれたときにも(このとは先ほどとは違い同じ次元とは限らない)、、、のいずれかを返すルールのことである。
と定義されます。
これでPopulation Ethicsにおける価値判断基準の定義ができました。
ちょっと図にしてみます。
これでPopoulation Ethicsにおける価値判断基準とは何かが定義できました。これを行ったことでやっと価値判断基準に関する具体的な性質やデザインの話に入っていくことができます(記事としてはあと半分くらいです)。
2点だけ重要な補足をしておきます。
まずは整合性の条件について。価値判断基準について”なんでもあり”なかんじに定義しましたが、さすがに「社会状態を取り出してきたときにはと判断して、社会状態を取り出してきたときにはと判断するにも関わらず、社会状態を取り出してきたときにはと判断する」みたいなことがあると、その価値判断基準は内部に矛盾を抱えてしまっています。そこで、このような不整合な判断はしないという条件だけは、"価値判断基準”という概念に定義の段階で課しておくことにします。
次に幸せの値の解釈について。幸せの値がどういう意味を持つのか(幸せの値がであるとはどういうことか)については考えないことにしました。それは基本的にそのままなのですが、Population Etchisにおいてはにのみ大きな意味を持たせます。幸せの値としてのは、「その個人にとってその人生を生きるのと生きないのが(その人生を経験するのと何も意識にのぼないでその人生を経験しないのが)どちらでも同じである幸せの水準」と解釈することにします。
幸せの値としてのをこのように解釈するのは、Population Ethicsならではです。標準的にはこのような強い解釈はしません(こういう強い解釈を持ち込まずに議論できるならそちらの方がいいと考えられるからです)。しかしPopulation Ethicsにおいては生死に関わる問題も扱う必要があるためこのような強い解釈をに持ち込むことが一般的です。補足は以上です。
ここまでの話だと「価値判断基準という概念に数学的な構造を与えたけど、だからなに?」というかんじかと思いますが、ここから数学のパワーを存分に発揮して面白い発見をしていきたいと思います。
合計で判断する価値判断基準
(Population Ethicsにおける)価値判断基準の具体的な例として合計によって比較する基準を考えてみましょう。
これは例えばとをから取ってきた場合には、とを比較しての方が望ましいと判断します。他にもとであれば同等に望ましいと判断します。
標準的な価値判断基準においても同じように合計で比較する基準を考えることはできますが、そこでは起きなかったような問題が今回は起きてしまいます(次元が違うベクトル同士の比較も許容することで初めて起きる問題があります)。
それは、すごく大きな幸せをすごく劣悪な幸せ(ただしよりは大きい)が量を増やせば常に凌駕してしますことです。
例えばという全員の幸せの水準がである億次元ベクトルを考えてみましょう(そしてという水準はとても幸福であるとイメージしましょう)。この社会状態は"かなりいいかんじ”です。
しかし、例えばというその人生を生きるのがいいのか生きない方がいいのかその個人にとってよく分からないけど微笑に生きた方がいいという水準を考えてみます。
するとの水準でも社会の人数をめちゃくちゃ多くしていったら合計で比較をする基準においては、いつかはよりも良い社会状態だと判断されることになってしまいます。これはちょっとどうなのかなという気がしてきます。
つまり、合計で比較する価値判断基準の問題点として、全員が非常に高い幸せの水準を持っている人からなる社会状態を考えたときに、どんなに低い幸せの水準(ただしよりは大きい)でも人数を増やせば前者よりも望ましいと判断されることが挙げられます。
そのような性質を持つ価値判断基準はRepugnant Conclusion(嫌な結論)を導く言われます。この概念をしっかりと定義しておきます。
(Popoulation Ethicsにおける)価値判断基準がRepugnant Conclusionを導くとは、
任意の正の実数と任意の自然数を考えます。そして人全員がの幸せの水準を持つ社会状態を考えます。次によりは小さい正の実数を考えます。このとき必ずある自然数が存在して、人全員がという幸せの水準を持つ社会状態を考えるとそちらの方が前者よりも望ましいとその価値判断基準が判断することである。
と定義されます。
ちなみに、Repugnant Conclusionを導かない価値判断基準には何があるかというと、例えば平均による比較は導きません。また、合計ではなく積で比較するような価値判断基準も導きません。
これらを確認するためにはとして、としてを取ってきてという社会状態を考える。そしてとしてという幸福の水準を取ってくるとどのような人数を持ってきても前者には勝てないことが分かります。
合計によって比較するという具体的な価値判断基準について考えることで、我々はRepugnant Conclusionという概念(正確には価値判断基準がRepugnant Conclusionを導くとはどういうことか)の定式化を行いました。
平均で判断する価値判断基準
仮にRepugnant Concousionを導かなければなんでもいいや、ということであれば平均による比較とかをてきとーに用いれば良いでしょう。しかし、平均によって比較する価値判断基準には(Repugnant Conclusionを導くこととは別の)次のような問題点があります。
それは、最初にという社会状態を考えます。そしてという幸せの水準を考えます。このときをそのままにした社会状態(つまりそのもの)とにを加えたという社会状態を考えるとそのままの方が望ましいと判断されてしまいます。
合計による比較ではこういうことは起きませんが平均による比較ではこういうことが起きてしまいます。
そんなのしょうがないじゃんという気もしてくるのですが、という水準はよりも高いわけですから、個人にとっては「その人生を経験しないよりは経験した方が良い人生」なわけです。にも関わらずを追加しない方がいいよねというのは、
「社会の判断として、個人にとっては生きるに値する人生でも社会にとってはその人生がない方が望ましいと判断していること」になってしまっています。そう言われれると、たしかに平均による比較にもまた問題点がありそうだなという気がしてきます。
価値判断基準がこのような問題点を起こさないとき(つまり正の幸せの追加が望ましさを落とさないとき)、その価値判断基準はMere Additionを満たすといいます。Repugnant Conclusionと違ってMere Additionは満たしていて欲しい性質として定義していることに注意してください。
(Population Ethicsにおける)価値判断基準がMere Additionを満たすとは、
任意の社会状態をから取ってきます。次により大きい幸福の水準を考えます。このときとにを付け加えたの比較についてその価値判断基準がもしくはと判断することである。
と定義されます。
Ng(1989)の不可能性定理
ここまでで(Popuolation Ethicsにおける)価値判断基準という概念の定義をした上で、その具体的な価値判断基準として合計による比較と平均による比較を考えることで、
価値判断基準に満たして欲しくない性質としてRepugnant Conclusion、満たして欲しい性質としてMere Additionが出てきました。
この2つ以外にも満たして欲しいと考えられる性質や満たして欲しくないと考えられる性質は色々と考えられますが、この2つはPopulation Ethicsという分野において初期から議論になっている重要な性質です。
そして実は驚くことに、(非常に納得的かつ弱い2つの条件のもとで)Mere Additionを満たす価値判断基準はRepugnant Conclusionを導くことを示すことができます。
これがNg(1989)が発見した不可能性です(つまり、これから紹介する非常に納得的な2つの条件とMere Additionを同時に満たしながらRepugnant Conclusionを導かない価値判断基準は存在することが不可能であることをを示しました)。
もちろん不可能性を示しただけでは「じゃあ、具体的にはどういう価値判断基準が望ましいのか?」については答えられませんが、価値判断基準のデザインを考える際の大きな足がかりになります。
なお、非常に納得的かつ弱い2つの条件は何かというと、それは「Minimal Increasingness」という条件と「Minimal Equality」という条件です。定義しておきます。
(Population Ethicsにおける)価値判断基準がMinimal Increasingnessを満たすとは、
任意の2つの次元が同じベクトルをから取り出したときに、とのようにどちらもコンスタントなベクトルになっており(がいずれも定値ベクトルであり)、かつの方がよりもベクトルの大小の意味で厳密に大きいならば、その価値判断基準がと判断することである。
と定義されます。これは上に書いたようにとだったら前者の社会状態の方が望ましいと判断してね、他にもとだったら前者の方が望ましいと判断してねということです。
Minimal Increasingnessは非常に納得的であるだけでなく弱い要求であり、例えばとなどについては前者の方がどの成分も大きいですがこのようなコンスタントではないベクトルの比較について何も要求しません。
もう1つの条件であるMinimal Equalityは次の通りです。
(Population Ethicsにおける)価値判断基準がMinimal Equalityを満たすとは、
任意の次元ベクトルをから取ってきます。そしてのようにと合計が同じだがコンスタントな新しいベクトルを考えたときに、その価値判断基準がもしくはと判断することである。
と定義されます。これは例えばを考えたときにを考えると、後者の方が望ましいか同等に望ましいと判断されるべきだと要求しています。要求としては弱いですが納得的だと思います。
まとめると、Population Ethicsにおける価値判断基準について、いま定式化したMinimal IncreasingnessとMInimal Equalityの条件を価値判断基準に課すことにする場合、
「正の幸福の追加は常に社会的に望ましいと判断されるべきである」というMere Additionを要求すると、必ず「高い幸福の度合いは常に人数の多さによって低い幸福に負けてしまう」というRepugnant Conclusionを導いてしまう。
これがNg(1989)の発見した不可能性定理です。
つまり、我々は理想的な価値判断基準について考える際に、(Minimal IncreasingnessとMInimal Equalityはあまりに納得的であるため)、Mere Additionを諦めるか、Repugnant Conclusionが導かれることを諦めるしかないとなるわけです。
Ng(1989)の証明
それでは証明をしてみたいと思います。
示したいのは、(Population Ethicsにおける)価値判断基準が非常に弱いが納得的な条件であるMinimal Increasingness、Minimal Equalityを満たすとする。このときその価値判断基準がMere Additionを満たすのであれば、必ずRepugnant Conclusionを導いてしまうことです。
それではこれを証明するために、一応証明Repugnant Conclusionの定義を確認しておきます。
(Popoulation Ethicsにおける)価値判断基準がRepugnant Conclusionを導くとは、
任意の正の実数と任意の自然数を考えます。そして人全員がの幸せの水準を持つ社会状態を考えます。次によりは小さい正の実数を考えます。このとき必ずある自然数が存在して、人全員がという幸せの水準を持つ社会状態を考えるとそちらの方が前者よりも望ましいとその価値判断基準が判断することである。
それでは証明します。
Proof:
いまMimimal Increasingness、Minimal Equality、Mere Additionの3条件を満たす任意の価値判断基準に注目する(そのような価値判断基準は複数ありますがその中の任意の1つを固定して注目します)。
この注目している価値判断基準が具体的にどういうものかは分かりませんが、3つの条件を満たしていることだけが分かっています。いまからこの注目している価値判断基準がRepugnant Conclusionを導くことを示します。
そのためにまずは、正の実数と自然数を任意に取ってきて固定します。注目するのはという人からなる社会状態です。
次に任意によりも小さい正の実数を取ってきて固定します。この幸福の水準を全員が持つ社会で、いま注目しているという社会状態よりも(いま注目している)価値判断基準によって厳密に望ましい判断されるものが存在すると分かれば、いま注目している価値判断基準がRepugnant Conclusionを導くと分かり証明終了です。
もう少し具体的にいえば、ある自然数が存在してというが個並んだ社会状態を考えると、いま注目しているよりも価値判断基準が望ましいと判断してくれることを示ればRepugnant Conclusionが導かれて証明終了です。
ここで、よりもさらに小さい正の実数を1つ考えます。そしてというベクトルを考えます(そしてこのとき次元をめちゃくちゃ大きくしておきます)。
そして、にこのベクトルを追加したという新たなベクトルを考えます。は個並んでおり、はそれよりも大量に並んでいるイメージです(本当は具体的な個数を明示する必要がありますが直感を得るためにはめちゃくちゃ多く並んでいると思えばOKです)。
この新しいベクトルとの比較を考えると、は正の実数であるため注目している価値判断基準がMere Additionを満たしていることから、よりもの方が望ましい(or 同等に望ましい)と判断されることになります。
Mere Additionは正の実数を追加しても社会的望ましさは落ちない(望ましくなるか同等のまま)であるという条件だったことを思い出してください。これが第一ステップです。
次にを次元と合計を変えずにコンスタントなベクトルにしたものを考えます(MInimal Equalityを使えるように"ならす"わけです)。これをで表します。
すると、いま注目している価値判断基準がMinimal Equalityを満たすことからはよりも望ましい(or 同等に望ましい)と判断されます。これが第二ステップです。
ここでにおいての数が非常に多いとしたことからはにとても近い数になっているはずであることを確認してください。
また、はよりも小さい数であったことを思い出すともよりも小さい数であると考えることができます。
すると、と同じ次元で全ての成分がであるというベクトルを考えるとMinimal Increasingnessよりの方がよりも望ましいと判断されることになります。これが第三ステップです。
以上を合わせると、
いま注目している価値判断基準は、
・よりの方が同等以上に望ましいと判断する。
・よりの方が同等以上に望ましいと判断する。
・よりの方が望ましいと判断する。
ことが分かりました(念のための注意ですがとのベクトルの次元は大きく異なることに注意してください)。
ということは、この価値判断基準は(補足において説明した整合性の条件を持っていると想定すると)よりもの方が望ましいと判断することになります(そうしないと判断の整合性が取れません)。
上の議論はまさしく、ある自然数が存在してという高い幸せの水準が個並んでいる社会状態よりも、という低い幸せの水準が個並んでいる社会状態の方が、いま注目している価値判断基準により望ましいと判断されることを示しています。
したがっていま注目している価値判断基準はRepugnant Conclusionを導くことになります。これをもって、Minimial Increasingness、Minimal Equality、Mere Additionを満たすどのような価値判断準もRepugnant Conclusionを導くことが証明出来ました。
まとめと補足
今回はNg(1989)の不可能性定理(非常に弱い2つの条件のもとで、Mere Additionを満たしてRepugnant Conclusionを避けるような価値判断基準をデザインすることは不可能であること)を中心に、Population Ethicsという分野について紹介しました。
今回示した不可能性は非常に重要です。これが示された以上、Mere Additionを満たすことを思い切って諦めるか、Repugnant Conclusionを避けることを思い切って諦めるか、どちらかを少し弱める(Mere Additionより弱いweak Mere Additionと呼びたくなるような弱めた概念を考えるなど)かなどをしないといつまでたっても具体的な価値判断基準には辿り着けないことが分かります。かなり偉大な不可能性定理です!
また、今回出てきた条件以外に重要な条件がないか探してみたり、不可能性を示すだけではなく具体的なデザインについての「可能性」についても数学にを使って探求できるのでそちらも重要です(実際にこのような方向の研究は今回の不可能性定理以降多く出てきました)。
大学院ではこんなかんじに、数学を使って社会に関する哲学的な問いについて考えています!
Fin.