やっぱりVRだと思うんです、一番面白いのは。


なぜか分からないけど僕は昔からVRに惹かれています。

こう書くと家にVRの機器を持っていたりするのかと思われそうですが、そんなことはなくて実際に使用したのは秋葉原の店頭で数回体験した程度です。





でもなぜか高校生くらいのときから、「VRってなんかワクワクする技術だよなぁ」という感覚がずっと消えずにあります。他の新しいテクノロジーに対しては(例えば仮想通貨に対しては)面白いとは思ってもこのような感覚が残り続けることはないのでなんでVRだけ自分にそう感じさせるのだろうと少し不思議です。

あえて言語化してみると、やはり「新しい世界が作られるかんじ」に惹かれるのではないかと思います。





さて、僕は1時間ほど前までPCである映画を視聴していたのですが(映画を見終わったのは深夜0時半くらいでこの記事を書いているのは深夜1時半付近です)、その映画がとても良かったので、視聴後すぐに明日以降のためにネットで映画の一覧を検索していました。そして、その時に改めて感じたのですが、映画ってほんとうに多彩な世界観なんですね。

・繊細で美しい日本のアニメーション映画。

・カオスで華やかなインド映画。

・壮大なSF映画。

いやー、ほんとすごい。どれもそれぞれに違った独自の魅力がある。1つ1つについて簡単な説明を読んだり予告動画を見ただけですが、心が躍りました。





その中でも特に気になった映画は、ゴッホについての映画です。ゴッホの絵画風の作画(1つ1つを油絵で描いた世界初の映画らしいです)でゴッホの生涯を描いた不思議な映画とのことですが、その映画の説明動画を見ているときに、ふいに、「このゴッホの絵画の世界にVRで入ってみたいかも!」と思いました。

「ゴッホの絵画の世界に入って散歩とかできたら絶対楽しそうじゃん。きっと、めっちゃ素敵だよね」みたいに思ったんです。そう思ったら次の瞬間には、「さっきの日本のアニメーション映画の世界にVRで入れたらそれもやばいな。美しい世界観すぎてとんでもない感覚になるだろうな」とか、「このSF映画も壮大すぎてすげーだろうな!」のように、 (より高性能になった)VRによって実現しうる体験に妄想がどんどん進んでいきました。





これからの数十年で社会にはテクノロジーに起因した様々な変化が起きると思います。本格的なVRの実装はその中でも割と行われる可能性が高いことな気がしますし、それを想像するとすごくワクワクします。直接的にせよ間接的にせよ何かしらの形でその実装に携われたりしたら楽しそうです。

 





こんなかんじで映画とVRに妄想を広げた僕は、「未来はやっぱりVRだぜ!」というテンションになってしまい、もう寝ないといけないのに困ってしまいまい、ひんやりした風を求めてベランダに出ました(これがつい数十分前のこと)。

外をみると薄暗い街灯が並んでいます。

音はあまりなく落ち着きます。

風も予想通りいいかんじです。





そこで、ちょっと冷静な気分になりました。





そしてまだ身体にじんわりとした熱を感じながらもいくらかクールダウンされた頭で、誰も歩いていない道路を眺めていたら、「なんかこれもいいな」と思いました。

なんのとりえもないただの道路。さっきまで妄想していたVRとか映画とかの世界とはまるで違うのですが、なんかこれもいい。




このとき、ある短い俳句を思い出しました。




「まっすぐな道でさみしい」 

(種田山頭火)




これだけの短い俳句。でも逆にこの文字数の少なさが、色々な感情を想起させる傑作だと思っています。ベランダから深夜の道路をみていて、この句を思い出した僕の頭には、先程映画を見たときと同じくらい素敵な感覚がじわっと広がってきました。




これはささやかだけど、大事な発見でした。




VRにワクワクする、これは正直な気持ちです。そして、この気持ちはこれからも大事にしていくつもりです。でも同時に、俳句などの情報量を極限まで削った表現方法であったり、目の前にあるなんのとりえもないような道路などの現実にも同じように捨てがたい魅力があるのもたしか。

そこに目を向けずに、「VRに未来を感じぜ!」と熱中するだけではなんとも勿体ないというか、俳句とかの素晴らしさにも目を向けるからこそVRの良さも本質的に把握できるような側面があるのではないか、そう思いました。




「これからはテクノロジーの進化がさらに加速度的に進んでいく」という意見をよく聞きますし、実際にそうなっていくのではないかと思います。でも、きっとそのような変化の時代で意外と肝に大事になってくるのって、逆説的だけど俳句とかの表現方法だったり、なんのテクノロジー感もない一場面を大事にする心だったりするのかもしれません(メインストリームとして肝にはならなくてもそこを差別化の力にするストラテジーはあり得るのではないかと思います)。

Fin.