マクロ経済学を専攻している友人たちと、
「現在のマクロ経済学に満足している?もしマクロ経済学を大きく変えられるとしたら何を変えたい(例えば全く新しいタイプの手法を取り込んだり、現在主流の仮定をひっくり返したりできるとしたら何をひっくり返す)?」
という話になった。
普段はこんな大きな議論はしないし、そもそも僕はマクロは門外漢。背景として「現在のマクロ経済学に足りないものを自由な発想で大きく考えてみよう。そしたら何かいいアイディアに繋がるかも」みたいなかんじだったのだけど、僕からしたらそもそもマクロ経済学が何をやっているか知らないので「特に意見ないな....」となってしまった。
結局、ほぼ黙ったまま会話は終了。
この話題、綺麗さっぱり忘れてもよかったのだけど(自分の研究に役立つとは思えないし.....)、このときに少し考えた「そもそもマクロ経済学の目的ってなんだろう」という問いは頭に残っていた。
なんかちょっと昔から漠然と抱えていた気持ちとして「マクロ経済学の授業を受けても、マクロ経済学という学問のすごさは分かっても現実の経済はさっぱり分からないままだな。もどかしい....」と感じていたのもあって、「マクロ経済学」というものについて改めて自分なりに考えてみたかった。
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マクロ経済学の目的(自分にとってしっくりくるマクロ経済学の目的)ってなんだろう。。。。
経済の予測を精度高くすること?
んーこれはちょっと違う気がする(そもそも予測なんて原理的にできない問題もありそう)。
じゃあ、経済の動きに説明を与えること?
説明するだけではちょっと足りない気がする...。
"経済”というのは重大だけど何も知らないと困った挙動をしてしまうから、それを分析したりする学問は必須なんだろうけど、「分析」みたいな用語だと、「経済と上手く付き合っていく」みたいなニュアンスは出てこない。
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モヤモヤ考えていました。
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そしてついに、
自分なりにしっくりっくる表現が出てきました。大した表現ではないのですが、、、
マクロ経済学の目的は「経済と仲良くなること」。
これどうでしょう?
完全な予測はできないし完全にコントロールすることはできないけど(友達との関係でも友達の行動や気持ちを完全に予測したりコントロールすることは目指さないしできないけど)、仲良く付き合うことはできる。仲良くなるためには相手を理解することは大事だけど完全に理解するのを目指すのではなくて、相手を尊重しながら大事な積み重ねていく。そんなイメージです。
マクロ経済学の研究をしたら(マクロ経済学の授業を受けたら)、「経済」と「友達になれる」ってのは結構魅力的に感じます。そういう感覚になれたらいいなと思うし、完全な予測やコントロールとは異なる「たまに喧嘩もするけど上手く楽しく付き合う」みたいなニュアンスがしっくりきます。
将来マクロ経済学を勉強する機会があったら、”現実の経済と仲良くなれたらいいな”と感じられることを目標に勉強してみることにします。
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「仲良くなる」という言葉は漠然すぎて微妙と言われてしまいそうだけど、僕としては、自分のスタンスを上手く表現できた気がして満足しています。笑
そして、マクロ経済学に限らず、自分がやっている社会的選択理論についても、
「社会溢れている難しいが対処すべき規範的な問い」と「仲良くなる」ための学問になっているか。
と考えてみるのは意味があると思いました。理論の精緻化とかしているけど結局どこを目指しているんだっけ、に対する1つの方向性として「その対象と仲良くなる(上手く付き合えるようになる)」ってのはありではないか。
社会(経済も含む)はよく分からない複雑なものであり(だからこそ面白い)、時に凶暴な挙動もするように思います(これは困る)。そんな社会ってものと仲良くなるための社会科学なんてコンセプトもいいかもしれません。
Fin