「幸せのための経済学」を読んで。




前に読んで挫折した「幸せのための経済学」を読みました。本はこんなかんじでコンパクト。数式は登場せずに社会的選択理論*1における規範寄りのテーマを一通り説明してくれています(ただし正直な感想としては難易度はかなり高くて読みこなすのには一定以上の前提知識*2が必要であるように思いました)。

今回読んでいて思ったのは、一般向けに言葉による説明が中心の本を読むと、普段やっている学問を新しい目で見ることができて新たな魅力に気づけることです。

半年ほど前に社会的選択理論の大御所である鈴村先生の本を読んだときには、「善」や「正義」など言葉が非常に格調高く使われており、「あぁ社会的選択理論ってのは哲学を本当によく結びついているんだな」としみじみ感じました。もちろん哲学と密接な関係にあることは頭では分かっていたのですが、哲学と結びついているその魅力を心で理解できた(そのような視点を自分の中にインストールできた)感覚になりました。

そして今回は、「社会的選択理論は、さまざまな社会の仕組みについて重要な視点を提供するとても適応範囲(見据えている範囲)が広い学問なんだ」と感じました。射程範囲が広いことは頭では理解していましたが、これまではどうも心ではしっくりきていなかったです。しかし、明示的に構成がそうなっていたり実用的なトピックを取り上げているわけではないのですが今回の本は「実際の社会を見据えながら書かれている」ような気がして、その感覚がインスールされたような感覚になりました。「大事な学問だな」と腹落ちしました。

最近はテクニカルな勉強が多かったので、いいタイミングでこの本に出会えてよかったです(本棚を整理していたときに出てきました)。なんだか改めて社会的選択理論のことが好きになっちゃいました。





最後に何点か面白いと思った点を書いておきます。

・無羨望(羨望がない)という意味での公平性*3の概念を考えたときに、例えば純粋交換経済においてはパレート効率的かつ無羨望である配分は(弱い条件のもとで)存在する。これは理由は簡単で社会に存在する財をそれぞれの人に等分で分けた上でそれを初期保有とする経済の競争均衡配分を考えればよいからである。競争均衡配分であるのでそれはパレート効率的であり、またある人が手に入れた財ベクトルは他の人も手に入れられたはずであり(初期保有が同じだから)羨望は存在しないからである。しかし、消費だけではなく消費と労働を考えるようなモデルにするとパレート効率的かつ無羨望の配分は(普通の状況でも)存在しないことがある。

上の内容自体は知っていたのですが、労働も入れ込むとパレート効率的かつ無羨望の配分が存在しなくなることの説明として、各人の労働の生産性については人々の間で最初に等分してみたいなことができないから消費だけだったときみたいに等分してからの競争均衡というテクニックが使えないと書いてあり、なるほどたしかにそうだなと思いました。

・消費(or労働と消費)の情報に注目して規範的評価を行おうとするアプローチについて、人々の文化的背景や直面しているインフラの状況や障害の有無などの条件が比較的同じ場合には、このようなアプローチは妥当であるが、そうでないときには機能(大雑把にいえば何が達成されるか)に注目するアプローチが有効という話が書いてあり(得られる財ベクトルが同じでも障害があれば上手く活用できない場合などがあることに注意)、「基本的には機能に注目するのが良いが人々の状況が似通っているときには消費などに注目して規範的評価を考えることもできる」という説明は分かりやすいなと思いました。*4

・「各人の選好順序(何を選択するのかに関する順序づけ)」という言葉と「各人の評価順序(何を価値あるとして評価するのかに関する順序づけ)」という言葉が使い分けられていました。選好するからといって(例えばタバコを吸うからといって)本人がそれを価値あるものとして評価しているとは限らないという観点から区別しているようでした。

一般的なミクロ経済学では「選好」を割と万能なものとして扱かっていますが、ここを丁寧に用語として区別するのは規範的な議論をするときにはたしかに重要だよなと思いました。ただし2つの順序を概念として区別したところで数学的にはどちらも順序(CompletenessとTransitivityを満たす二項関係)という意味では構造は同じなので、数学的には実質的に変わらない側面もあり説明は重複させずに基本的には片方で説明していました。





素晴らしい本に出会えてよかったです。

Fin.

*1:以下、「社会的選択理論」と書いているときにはその中でも規範寄りの領域を指すこととします。

*2:数式が出てくるわけではないのでミクロ経済学が分かっていれば良いかというとそういうわけではなく、社会的選択理論の規範寄りのことを一度学んで知識があることが重要であるように思いました。一定以上の知識がある人が概念を整理したりエッセンスを掴むのに役立つ本という印象を受けました。

*3:本書の用語に従うと衡平と書いた方がいいかもしれないが今回はあまり区別を考えずに公平で通す。

*4:ただしこの本は機能や福祉などを重視する傾向があるように感じたので自分としてどう考えるかは慎重に検討したほうが良さそうだとは思いました。