ゲーム理論@浦和高校 Part1

今度、高校の部活の後輩(現役の高校生たち)に向けて、経済学について話す機会を頂きました。

90分一本勝負でしっかり準備する必要があります。準備として自分用のメモを作っても良かったのですが、せっかくなので話す予定の内容をブログに書くことでその準備にしようと思い、これ(Part1〜4の4記事)を書いています。

内容としては、「ゲーム理論」と呼ばれる分野の入門です。ただし、単なる入門というよりは、普段自分がゲーム理論をやっている時に「見ている世界」を共有することを目指そうと思います。「ゲーム理論」の魅力が、そしてできたら学問の魅力が少しでも伝わったら嬉しいです。

皆さんも一瞬だけ高校生に戻って、特別授業を聞いてみませんか?

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こんにちは!

卒業生の原田です。たまに柔道部に遊びにきていますが、軽く自己紹介をしておきます。僕はだいたい7年前に高校2年生でした(聞いている人の多くは高校2年生)。少しイレギュラーなのは、高3の夏に1年間メキシコに留学をして、そのあとに慶應大学SFC(湘南藤沢キャンパス)に入学しました。

そして、色々な学問を学べるSFCという環境で、偶然「経済学」に出会い、その中でも特に「ゲーム理論」と呼ばれる領域について勉強してきました。いまは東京大学の経済学研究科というところで勉強したり、研究したりしています。

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今日は、「ゲーム理論ってこんなかんじだよ!」って話をしたいと思います。

ちなみに「ゲーム理論」の「ゲーム」は囲碁とか将棋とかポケモンとかのゲームを指しているわけではありません。具体的な話はこれからしますが、ゲーム理論は多くのひらめきが詰まっているとてもエキサイティングな理論です。楽しみにしていてください。

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ゲーム理論」の説明に入る前に、もう少し広い範囲である「経済学」について説明させてください。みなさんは「経済学」と聞くと何を扱う学問領域だと思いますか?

「そりゃ経済だろ」と思われるのではないでしょうか。いわゆる「経済」=物の売り買いや税金や国債とか円安がどうこうとかを扱う学問でしょ、というイメージが一般的ではないかと思います。僕もそのようなイメージを持っていました。

でも、実はそんなことはないんです。もちろん、「経済」は経済学にとって主要な分析対象ではありますが、実は経済学では教育、医療、政治なんてものも扱うんです。

ちょっと不思議なかんじですよね。

たぶん経済学も最初は「経済」についてあれこれ考えていたんだと思います。そりゃ経済学ですから。でもだんだんと、「あれ?経済を分析するための方法論って教育とか医療とか政治とかの経済以外の分析にも使えるんじゃね」となって、「経済」以外の広い対象も分析するようになっていたのではと思います。

歴史的な経緯はあまり知りませんが、少なくとも現在の経済学では、いわゆる「経済」だけでなく、教育、医療、政治などと言った幅広い社会に関するトピックが扱われています。

そのため、今回の特別授業においては、経済学のことを「社会について考える学問」だと思ってください。また、経済学は思考の道具として「数学」を主に用いるので、少し言い過ぎではありますが、

経済学とは、「社会について数学を使って考える学問」である。

というイメージを持ってみてください。今からするのは「社会について数学を使って考える学問」に関する話です。

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「社会について数学を使って考える」について補足しておきたいと思います。「社会について数学を使って考える」って結構面白いことかもしれません。

皆さんは数学の授業において、数学そのものを学んでいると思います。また、理科の授業(特に物理の授業)では、熱とか物の運動とかの自然現象について数学を使って分析していると思います。

数学そのものの勉強。数学を使って自然現象を捉える勉強。こうきたら数学を使って社会現象を捉える勉強があってもよさそうですよね。それが経済学です。

社会に関するものとして、「国」や「お金」などが挙げられますが、これらは自然の摂理としてそこにあるというより、人間の思考によって生み出されているものですよね。みんなが明日から「国なんて存在しない!お金なんて存在しない!」と信じればその瞬間に国とかお金はなくなってしまいそうです(お金はタダの紙切れになってしまいそうです)。こういった、自然科学が扱うのとは少し違う*1「人間の思考によって成り立っている対象=社会的対象」に数学を使ってアプローチしてみる。これが今回やろうとしていることです。

ここまでをまとめると、経済学とは「社会について数学を使って考える学問」です。もちろん内情はもう少し複雑ですが今回はそのようなイメージを持ってください。そしてこれは、数学そのものをやろうという話でもないし、物理学などでやっている自然の摂理に数学を使ってアプローチするという話でもなく、人間の思考によって作られている社会的対象について数学を使ってアプローチする領域です。

これから、「社会について数学を使って考える学問」の1分野としての「ゲーム理論」を紹介します。*2

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さて、いよいよ「ゲーム理論」に入っていきましょう。
ゲーム理論は1940年代にフォンノイマンとモルゲンシュテルンという2人の天才によって作られました。主に経済学で使われている理論で、それまでの経済学では分析できなかったことを一気に分析できるようにしました。

では、ゲーム理論とはどんな「ひらめき」から始まった学問なのでしょうか?*3ゲーム理論の核となるアイディアを見ていきます。ただ、そのすごさを理解するためには、ゲーム理論以前の経済学について見るのが有用です。まずはゲーム理論以前の世界観に浸ってみましょう。そうするとゲーム理論のすごさが見えてきます。

では、ゲーム理論以前の理論について見ていきます。

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ここでは、いわゆる「経済」に注目しよう。特に、スーパーでの買い物という意思決定と、企業の生産計画の決定という意思決定の2つについて考えてみよう。

そのとき、以下のような考え方は「自然な考え方」ではないでしょうか?(以下がゲーム理論以前の世界観です)

【消費者】

消費者はスーパーでどのような選択の状況におかれているだろうか。スーパーにおいて消費者は、(バナナ1本を100円で買う)、(バナナ1本とりんご2つを200円で買う)、(カレーのルウと牛乳を1つずつ500円で買う)のような選択肢、他にも潜在的には可能という意味で(スーパーのもの全部を1億円で買う)のような選択肢にも直面している。

もちろんここに(何も買わないでスーパーを出る)という選択肢を入れてもいい。

これらの直面する選択肢の1つずつに対して消費者は、この選択肢を選んだときの嬉しさはこのくらいだな、こっちの選択肢を選んだときの嬉しさはこのくらいだな、みたいに各選択肢についてそれを選んだときの嬉しさを度合いを持っていている。その上で消費者は(自分のお財布に入っているお金による制約の元で)選択可能な選択肢のうち、それを選んだときの嬉しさが一番大きいものを選ぶ。

このように消費者をモデリングしてみる。もちろんより細かい描写をすることもできるだろうが、大枠としてはこの枠組みで捉えてみる。

【企業】

次に企業についても同じように、企業は(100万円の機械と10人の作業員で製品Aを10000個作る)、(1人で製品Bを2個作る)などの選択肢に直面していて、またそれぞれの選択肢についてそれを選んだときの嬉しさの度合いを持っている。そして実際に選択するのは、そのとき選択可能な選択肢のうちで一番嬉しさの度合いが高いもの。

このように企業をモデリングすることにしよう。

大事なのは、どちらのケースでも、各主体はその場面で自分が(潜在的なものも含めて)取りうる選択肢を持っていて、それぞれの選択肢についてそれを取ったときの嬉しさの度合いを持っているというセットアップのもとで、選択可能な選択肢の中で一番嬉しさの度合いが高いものを選択する、という枠組みになっていることです。

潜在的に」とか「選択可能な」とかが面倒でしたら、そこは無視してしまって、「各主体はいくつかの取りうる選択肢に直面している。また、各選択肢に対してどのくらいそれを取ったときに嬉しさかの度合いを対応させることができて、1番嬉しさの度合いが高い選択肢を選ぶ」という枠組みと考えてもいいです。

いかがでしょうか?この枠組みには、何か大きな問題がありそうでしょうか?

「社会について分析してみよう」となったときに、この枠組みを提示されたら、「まぁ完璧な枠組みかは知らないけど、とりあえず採用してみる枠組みとしてはいいんじゃないの。なんか自然な枠組みという気もするし」と僕なら感じます。

ゲーム理論以前の世界観について、「はいはい。この世界観で分析していたのね」とまずは抑えてみてください。

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2人の天才は、この一見「自然な枠組み」とも思えるものに対して、「NO!」と言いました。ただし、この枠組みが全然ダメというよりは、この枠組みだけでは重要なことを見逃してしまうかもしれない、と主張したかんじです。

では何を見逃してしまうというのでしょう?

例を1つ考えてみます。

ここで、似たような製品を作っている2つの企業がいるとしましょう。企業1と企業2はそれぞれ{値下げする、値下げをしない}という選択肢の集合に直面しています。こういう状況を考えてみます。

このとき、企業1が「値下げする」を選んだときの企業1の嬉しさは、企業2も値下げをした場合と、企業2は値下げをしなかった場合で、異なるのではないでしょうか。企業2が値下げしなければ企業1だけ「安く売っている企業」になれてお客さんが増えそうですが、企業2も値下げするとそうはならなさそうです。

つまり、ある主体(企業1)の嬉しさは、その主体が直面する選択肢({値下げする、値下げしない})のうちどれを選ぶかだけではなく、他の主体(企業2)が何を選ぶかにも依存する。また、他の主体(企業2)の嬉しさも、その主体が何を選ぶかだけではなくもう一方(企業1)が何を選ぶかに依存する。

スーパーの例では、消費者の嬉しさは消費者の選択によって決まるものでした。しかし、今回は企業1の嬉しさは企業1の選択だけでは決まっていません。つまり、この例は各主体の嬉しさはその主体の選択だけに依存するというゲーム理論以前の枠組みでは捉えられません。

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次のような例も日常的によくありそうです。

僕が明日部活に行った時の嬉しさは、君も部活に来るかに依存している。また、君が明日部活に行った時の嬉しさは、僕が明日部活に来るかに依存している。

このような状況もゲーム理論以前の枠組みでは扱えません。なぜなら、僕の嬉しさは僕が部活に行くか行かないかという自分の選択だけの結果として決まらないからです。

値下げという経済において重要な意思決定の状況を、ゲーム理論以前の枠組みでは扱うことができない。また、部活の例は日常生活に溢れているような状況にも関わらず、ゲーム理論以前の枠組みでは扱えない。こういうのを全部取りこぼすのはさすがにヤバいだろう。

こういう洞察があったわけです。

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そこで、自分の嬉しさが自分の選択だけでなく相手の選択にも依存していて、相手の嬉しも相手の選択だけでなく自分の選択にも依存しているような状況を、「ゲーム的状況」と呼び、それを分析するための道具として「ゲーム理論」が作られました。

つまりゲーム理論とは、それまでの分析の枠組みからはごっそり抜けていた「ゲーム的状況」を分析するための理論体系といえます。

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さらっと言いましたが、これはかなり壮大なことだと思います。

言われてみれば社会に溢れかえっているゲーム的状況(自分の嬉しさは相手の行動に依存していて、相手の嬉しさは自分の行動にも依存している状況)。それが今までの「自然に思える分析の枠組み」からはごっそり抜け落ちていることに気づき(これがまずすごい!)、そこからさらに「よーし、それを分析するための理論作るぞ!」ってやろうとしているわけです。

随分気合の入った知のプロジェクトです。

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まとめると、

ゲーム理論以前の分析の枠組みは、「各主体は取りうる選択肢の集合に直面していて、各選択肢を取ったときのその人の嬉しさは決まっている。その上で各主体は自分が取れる選択肢の中で一番嬉しいものを選ぶ」というものだったが、2人の天才は、それでは「ゲーム的状況」がごっそり分析対象から抜けてしまっていると気づき、それを扱うための理論を作ろうとした。それがゲーム理論である。

我々はここまでで「ゲーム的状況」と呼びたくなる状況が社会にはいっぱいあるんじゃね!という「ひらめき」を追体験するところまできました。

でもこれでは「ひらめいた!」ってだけで、ちゃんとした分析をするための”理論”は手元に何もありません。そこでPart2では、「ゲーム的状況」をちゃんと分析するための"理論"を数学の力を使いながら(美しく)作っていきます。

Part2はこちら

*1:「社会的な対象についても自然科学の枠組みで捉えうる、なぜなら人間の脳も自然科学の領域になりうるからだ」という意見もあると思います。そしてこれは深い問いだと思います。しかし、やっぱり机とか椅子とかとお金とか国って少し異質な気が個人的にはします。上手く言語化できませんが。少なくともタイプは異なる対象物とはいえる気がします。深堀りはしませんが。

*2:ゲーム理論」は生物学などでも用いられています。今回やろうとしていることをより正確に表現すると、主に経済学において用いられている「ゲーム理論」という学問領域を経済学の文脈に基づいて紹介する、というかんじです。

*3:もちろん実際に2人が「ひらめいた」かは知りません。核となるアイディアはなんだろうかということです。もっといえば、どういう「ひらめき」があったと想定すると、ゲーム理論の核となるアイディアを理解しやすいかということです。