「選好」の定式化をちゃんと説明してみた。

本当は「選好」の定式化についてちゃんと説明したいんだよな〜。

経済学をやっていない友人に、経済学のそれなりに深い内容を紹介する時にそんな気持ちになることがよくあります。この前高校生に向けてゲーム理論について話す機会を頂きましたが、その時もまさしく「選好」に関する議論を曖昧にしました。

しかし、「選好」の定式化は、多くのミクロ経済学の教科書で最初に扱われるほど経済学の基盤的内容です。そこで今回は、前提知識なしに「選好」の定式化について紹介します(直積集合や部分集合などの概念は知っていることが望ましいですが、知らなくても読めます)。

それでは、さっそく始めましょう。

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よくある説明

投票制度について考察したいとしましょう(経済学における主要な考察テーマの1つです)。そこで次のような状況を考えてみます。

投票する人はAさんとBさんとCさんで、候補者はxyとします。

Aさん、Bさん、Cさんそれぞれにとって、xが当選したときの嬉しさは20100yが当選したときの嬉しさは103030とします。つまりAさんはxが選ばれると20の嬉しさを感じ、yが選ばれると10の嬉しさを感じます。

このとき多数決が行われるとどの候補者が選ばれることになりそうでしょうか(多数決ルールにおける投票行動はどうなりそうでしょうか)?

この問いへのアプローチは色々あると思いますが、今回はそこには注目せず、ここまでの手順に注目します。

まず私たちは、

投票者が誰であるか( A,B,C )、彼らはどの選択肢に投票できるのか( x,y )を記述した上で、各投票者の「嬉しさの構造」も記述しました。ここまでが状況(モデル)のセットアップです。

このように経済学では、考えたいトピックに関して、簡単な状況(モデル)をセットアップしてみて、その上で考察を進める手順を取ることが多いです(より一般的な状況を扱いたいのであれば選択肢はx_1,x_2,...,x_nn個ありますのようなセットアップにします)。

 

経済学ではこんなかんじに考察を進めるのことが多いんよ。




このような説明をよく友人にします。ただ心の中では、「厳密にいうと1点だけ違うんだよな」と思いながら。それは「嬉しさの構造」を特定した箇所です。

あたかも「嬉しさの度合い(尺度)」なるものが存在するかのようなセットアップをしましたが、このセットアップに対しては、

xが選ばれたときのBさんの嬉しさは10で、yが選ばれたときのAさんの嬉しさも10になっているけど、これはAさんとBさんがそれぞれのケースで”同じくらい嬉しい”ってこと?そんな比較できるわけ?」

xが当選したときのAさん嬉しさは20でyのときは10だけど、Aさんは2つのケースで2倍だけ嬉しさに違いがあるってこと?そんな比較できるわけ?」

などの(哲学的な)疑問が出てきます。

これはとても面倒ですし、そのような疑問に対して「嬉しさの尺度」が存在すると想定することが妥当だと主張するのは大変そうです。

じゃあどうするか?

そこで実際には、「嬉しさの構造」のセットアップの部分を、上のような形にせず、

Aさんにとって、xyより厳密に望ましい。
Bさんにとって、yxより厳密に望ましい。
Cさんにとって、yxより厳密に望ましい。

のようにします。

これなら「嬉しさの尺度」という概念は持ち出されておらず、先ほどのツッコミを回避できます。このセットアップだと先ほどより情報は落ちますが、これでもそれなりに豊富な知見を導くことができます(このことは実際の分析を見ないとわかりませんが)。

いま出てきた、「Aさんにとってxyより厳密に望ましい」という情報はAさんの「選好」と呼ばれます。つまり、Aさんの選好は、Aさんにとっての「望ましさの順序構造」というイメージです。

 

先ほどのセットアップをより経済学で実際に採用されている形にすると、

投票者は、Aさん、Bさん、Cさん。

候補者の集合は\{x,y\}です。

Aさん、Bさん、Cさんは候補者の集合\{x,y\}に対して選好を持っており、それはそれぞれ「xyより厳密に望ましい」「yxより厳密に望ましい」「yxより厳密に望ましい」です。

のような形でされることになります。

定式化の糸口

ここまでで「選好」のイメージは紹介しましたが、まだ「選好」をどう数学的に定式化すればいいかは分かっておらず、数学的分析の基盤としては不十分です。

ということで、「選好」の数学的定式化に入っていきます。最終的には、「選好」を「集合」として表現することになりますが(ちょっと不思議なかんじです)、最終的になぜそう定式化するかを理解するためにも順に考えを進めていきます。





まず先ほどの例では選択肢が2つだけ(x,y)でしたので、もう少し複雑にx,y,zとした上で、定式化のヒントを探ります。

 

選択肢がx,y,zであるとき、

Aさんにとってxyより厳密に望ましい」

だけではセットアップとして足りなさそうです。

Aさんにとってxyより厳密に望ましい。yzより厳密に望ましい。」

くらいがセットアップとして妥当になりそうです。

じゃあ、選択肢が3つの場合は「xyの望ましさの比較」「yzの望ましさの比較」の情報で十分そうかいうと、

Aさんにとってxyより厳密に望ましい。zyより厳密に望ましい。」

のようなケースでは、これだけではAさんにとってxzのどちらが望ましいかは分からず、Aさんの投票行動を考えるセットアップとしては足りなさそうです(思考を進めていく「舞台」の設定として情報が足りなさそうです)。

Aさんにとってxyより厳密に望ましい。zyより厳密に望ましい。xzより厳密に望ましい。」

まで欲しいところです。

Bさんはもしかしたらxyzの候補者について「誰でもいいや」という人かもしれません。その場合には、Bさんの選好は、

Bさんにとってはxyは同等に望ましい。zyは同等に望ましい。xzは同等に望ましい。」となるでしょう。

以上の考察から、選択肢が3つの場合には、

xyについて「同等に望ましい」か「xの方がyより厳密に望ましい」か「yxより厳密に望ましい」を指定する。

yzについて「同等に望ましい」か「yの方がzより厳密に望ましい」か「zyより厳密に望ましい」を指定する。

zxについて「同等に望ましい」か「zの方がxより厳密に望ましい」か「xzより厳密に望ましい」を指定する。

この3つを指定してくれるものを選好と呼べば良さそうです。

選択肢の数がx,y,z,w,u5つの場合にも同じように、10個の組み合わせが作れますが、そのそれぞれについて同等に望ましいかどちらが厳密に望ましいかを指定するものを、その文脈における(選択肢の集合が\{x,y,z,w,u\}のときの)選好と呼べば良さそうです。

 

ただ、少し気をつけて考えてみると、この定式化では、「Aさんにとってxyより厳密に望ましい、yzより厳密に望ましい、zxより厳密に望ましい」のようなものも入っていることに注意してください。これは少し変なかんじではあると思います(xよりyが良くてyzより良いならxzよりも良くなっていないとおかしい気もしてくるわけです)。この点については一旦目をつぶっておき、最後に解決します。

この点を除けば、定式化の方針がそれなりに見えてきました。実際、ここまでの話に基づいて「選好」を定式化した教科書もあります(Rubinstein先生のLecture Notes in Microeconomic Theoryなど)。しかし、一般的な教科書で扱われている定式化に向けてはもう少し進む必要があります。

ここまでの議論をまとめるために、次のような定義をしておきましょう(選好を集合として定義しておらず最終版の定義とは違います)。

一応の定義:

選択肢の集合T=\{x,y,z\}について、

T
の選好とは、

xyについて「同等に望ましい」か「xの方がyより厳密に望ましい」か「yxより厳密に望ましい」を指定し、

yzについて「同等に望ましい」か「yの方がzより厳密に望ましい」か「zyより厳密に望ましい」を指定し、

zxについて「同等に望ましい」か「zの方がxより厳密に望ましい」か「xzより厳密に望ましい」を指定するものである(そしてそれ以外の情報は指定しない)。

 

ここでは、「選好」という概念ではなく「選択肢の集合T上の選好」という概念を定義しています。なぜ「選好」という概念を作らないのかというと、これは考えて見れば当たり前で日常的な感覚でいっても、漠然と「Aさんの望ましさの順序」といってもそれが何を順序づけているか分からないからです。

あなたも、「自身の望ましさの順序(ランキング)はどうなっていますか?」と聞かれても「えっと、何に対する順序ですか?」となってしまうはずです。でも「選択肢の集合がT=\{りんご、バナナ、みかん\}とします。あなたはTに関してどのような望ましさの順序づけを持っていますか?」と言われれば、何を答えればいいかは分かるはずです。

したがって、「選好」という概念の定式化ではなく、「ある集合Tに関する選好」という概念を定式化します。これは最終的な定義においても変わりません。なお、どの選択肢の集合について考えているか明らかな場合は、単に「選好」ということもあります。


ここが正念場

先ほどの「一応の定義」を少し変えてみます。ここでは、「xyについての望ましさの比較ができない」というのも1つの順序づけと考えることにしましょう(順序づけできないというのも1つの順序づけと考えることにしてみるわけです)。

このような拡張をすると、新しい一応の定義は、

一応の定義:

選択肢の集合T=\{x,y,z\}について、

T上の選好とは、


xyについて「同等に望ましい」か「xの方がyより厳密に望ましい」か「yxより厳密に望ましい」か「xyの比較はできない」のうち1つを指定し、

yzについて「同等に望ましい」か「yの方がzより厳密に望ましい」か「zyより厳密に望ましい」か「yzの比較はできない」のうち1つを指定し、

zxについて「同等に望ましい」か「zの方がxより厳密に望ましい」か「xzより厳密に望ましい」か「zxの比較はできない」のうち1つを指定するものである(そしてそれ以外の情報は指定しない)。


のようになります(もし写像という概念をご存知の場合は、ここでの定義は(x,y)(y,z)(z,x)それぞれに対して、「同等に望ましい」「前者の選択肢の方が厳密に望ましい」「後者の選択肢の方が厳密に望ましい」「比較できない」という4つの文字列のうち1つを対応させる写像のことを選好と呼んでいると理解してください。このように選好を定義することも可能です)。

写像の話は飛ばして頂いても大丈夫です。

大事なのは、現時点の定義に従えば、\{x,y,z\}上の選好とは、

xyより厳密に望ましい、yzより厳密に望ましい、zxは同等に望ましい」

xyは同等に望ましい、yzより厳密に望ましい、zxと比較できない」

などになることです。

より日常的な例を作ると、\{りんご、バナナ、みかん\}上の選好とは、

「りんごはバナナと同等に望ましい、バナナはみかんより厳密に望ましい、りんごはみかんより厳密に望ましい」

「りんごはバナナと同等に望ましい、バナナはみかんと同等に望ましい、みかんはりんごより厳密に望ましい」

などになります。

ここまでで一区切りです。




ここから一気に数学的定式化に入ります(最終版にかなり近い形になってきます)。T=\{x,y,z\}上の選好の1例として、例えば\{(x,y),(y,x),(y,z),(x,z)\}という集合が挙げられることになります。このような「集合」を「選好」として捉えてみるわけです。

何をいっているのか?

\{(x,y),(y,x),(y,z),(x,z)\}のような集合を「T上の選好」というからには、先ほどの話からすれば、xyについて4つのうち1つを指定し、yxについて4つのうち1つを指定し、zxについて4つのうち1つを指定していて欲しいわけです。

\{(x,y),(y,x),(y,z),(x,z)\}は、実際にその情報を指定していると捉えられます。

xyの比較については(x,y)(y,x)の両方がこの集合に入っているため「xyは同等に望ましい」と指定しているとする。yzの比較については(y,z)はこの集合に入っているが(z,y)は入っていないため「yzより厳密に望ましい」と指定しているとする。zxの比較については(x,z)はこの集合に入っているが(z,x)はこの集合に入っていないため「xzより厳密に望ましい」と指定しているとする。

より一般的には、

(x,y)(y,x)の両方が選好(集合)に入っていたら「xyは同等に望ましい」、(x,y)だけだったら「xyより厳密に望ましい」、(y,x)だけだったら「yはより厳密に望ましい」、どちらも入っていなければ「xyの比較はできない」とします。

つまり、今までの定義において、T上の選好は、

xyより厳密に望ましくて、yzと同等に望ましくて、xzより厳密に望ましい」

などでしたが、、

\{(x,y),(y,x),(y,z),(x,z)\}T上の選好と解釈できるということです。

もう少し例を見ると、

\{(x,y),(y,z),(x,z),(z,x)\}

xyより厳密に望ましくて、yzより厳密に望ましくて、zxは同等に望ましい」と解釈されることになります。


適当な解釈なもとで、「集合」によって「望ましさの順序」を表現したわけです。

すると、セットアップは例えば、

投票者はABCで選択肢の集合は\{x,y\}

ABCそれぞれの(選択肢の集合\{x,y\}上の)選好は \{(x,y)\}\{(x,y),(y,x)\}\{(y,x)\} である。

のように表現することになります。このとき我々はAさんにとってxyよりも厳密に望ましい、Bさんにとってxyは同等に望ましい、Cさんにとってyxより厳密に望ましいと解釈します。

ここまでの話はそこまで厳密ではありませんでしたが、「選好」を「集合」として表現することのイメージを得ることはできたのではないでしょうか?

いよいよ定式化

ここまでの議論を踏まえて、最終的な定式化をします。基本的にはここまでの話を丁寧に定式化するだけですが、今まではxyの比較など違う選択肢同士の比較だけでしたが、最終的な定式化ではxxの比較のような同じ選択肢同士の比較も考えることにします。

最終的な定義を見てみてましょう。

 

定義:

選択肢の集合Tについて、

T上の選好とは、
集合T\times Tの部分集合のことである。

また、T上の選好Rが与えられたとき以下のように解釈を与える。(u,w)Rに入っているとき「uw以上に望ましい」と解釈し、(w,u)Rに入っているとき「wu以上に望ましい」とする(ただしuwは同じ選択肢でも良い)。

さらに「uw以上に望ましい」が成り立っており「wu以上に望ましい」が成り立っていることを「uwと同等に望ましい」と解釈する。「uw以上に望ましい」のみが成り立っていることを「uwより厳密に望ましい」と解釈する。「wu以上に望ましい」のみが成り立っていることを「wuより厳密に望ましい」と解釈する。どちらも成り立っていないことを「uwの比較はできない」と解釈する。

 

解釈のパートは少しややこしいですが(「以上に望ましい」という変なのが途中に出てきていますが)、結局は「(w,u)(u,w)の両方が選好に入っていたら「同等に望ましい」、(w,u)のみ入っていたら「wの方がuより厳密に望ましい」、(u,w)のみ入っていたら「uの方がwより厳密に望ましい」、どちらも入っていなければ「wuの比較はできない」と解釈されるため、先ほど説明した解釈の仕方と同じです。

T\times Tとか部分集合などの用語が出てきたので簡単に説明しておきます。

数学用語の補足

集合TT=\{u,w\}であるとき、集合T\times T\{(u,u),(u,w),(w,u),(w,w)\}となります。T=\{x,y,z\}のとき集合T\times T\{(x,x),(x,y),(x,z),(y,x),(y,y),(y,z),(z,x),(z,y),(z,z)\}となります。つまり集合Tの要素から作ったペア全体からなる集合がT\times Tです。

集合\{1,2,3\}は集合\{1,2,3,4\}の部分集合です。集合\{1\}も集合\{1,2,3,4\}の部分集合です。ある集合がもう1つの集合の「一部」からできているときその集合をもう1つの集合の部分集合と呼びます。ただし、何も入ってない集合\{ \}はあらゆる集合の部分集合であるとします。また、\{1,2,3\}\{1,2,3,4,5\}の部分集合ですが、\{1,2,3,4,5\}\{1,2,3,4,5\}の部分集合とします(その集合自身もその集合の部分集合です)。したがって、集合\{1,2\}の部分集合は\{1\}\{2\}\{1,2\}, \{ \}4つです。


これを踏まえて、もう一度定義を見てみましょう。

定義:

T上の選好とは、
集合T\times Tの部分集合のことである。

また、T上の選好Rが与えられたとき以下のように解釈を与える。(u,w)Rに入っているとき「uw以上に望ましい」と解釈し、(w,u)Rに入っているとき「wu以上に望ましい」とする(ただしuwは同じ選択肢でも良い)。

さらに「uw以上に望ましい」が成り立っており「wu以上に望ましい」が成り立っていることを「uwと同等に望ましい」と解釈する。「uw以上に望ましい」のみが成り立っていることを「uwより厳密に望ましい」と解釈する。「wu以上に望ましい」のみが成り立っていることを「wuより厳密に望ましい」と解釈する。どちらも成り立っていないことを「uwの比較はできない」と解釈する。


この定義に従えば、T=\{x,y,z\}のときT上の選好の1つは\{(x,y),(y,z),(z,y),(x,x)(y,y),(z,z)\}となります。これがT上の選好になっていることは、\{(x,y),(y,z),(z,y),(x,x)(y,y),(z,z)\}という集合がT\times Tという集合の部分集合になっていることから分かります。

そして我々は\{(x,y),(y,z),(x,x)(y,y),(z,z)\}を、以下のように解釈します。

xyについては「xyより厳密に望ましい」
yzについては「yzより厳密に望ましい」
zxについては「zxは比較できない」
xxについては「xxと同等に望ましい」
yyについては「yyと同等に望ましい」
zzについては「zzと同等に望ましい」

xxなど同じ選択肢の比較についてはややこしいですが、ここでは難しく考えずに(x,x)がその選好に入ってれば「xxは同等に望ましい」と解釈して、(x,x)が入っていなければ「xxは比較できない(意味不明ではあるが)」と解釈することにすると思ってください。

これで選好の定式化ができましたが、もう少し例を見ながら話をちょっと進めます。

T=\{x,y\}のとき、\{(x,x),(y,y),(x,y)\} はたしかにT上の選好であり、

xxについては「xxは同等に望ましい」
yyについては「yyは同等に望ましい」
xyについては「xyより厳密に望ましい」

と解釈されます。なんていうか「理解できる」選好です。

T=\{x,y\}のとき、\{(x,x),(y,y),(x,y),(y,x)\}はたしかにT上の選好であり、

xxについては「xxは同等に望ましい」
yyについては「yyは同等に望ましい」
xyについては「xyは同等に望ましい」

と解釈されます。これも「理解できる」選好です。

でも例えば、\{(x,y)\}だとこれは

xxについては「xxは比較できない」
yyについては「yyは比較できない」
xyについては「xyより厳密に望ましい」

と解釈されるもので、ちょっと意味が分かりません。「xxという同じもの同士の比較ができないわけ?同じものなんだから望ましさは同等でないとおかしくね」と言いたくなります。

そう考えると選好の定義は、「意味の分からないもの」ものも「選好」として認めていることが分かります。もう一度定義を見てみましょう。

T上の選好とは、
集合T\times Tの部分集合のことである。


この定義に従うとT\times Tの部分集合ならなんでもT上の選好と呼ぶわけです。T=\{x,y\}のときT\times T\{(x,x),(y,y),(x,y),(y,x)\}ですが、何も入っていない集合\{ \}T\times Tの部分集合ですから、\{ \}T上の選好になります。そしてこれは、「xxについて比較できず、yyについて比較できず、xyについても比較できない」と解釈されます。んーどうなのってかんじです。

しかし、選好の定義はここから修正しません。でもそれだと今の問題があるので、新しく「合理的な選好」という概念を作るのが普通です。こうすると必要に応じて「各投票者は{x,y}上に合理的な選好を持っている」や「各投票者は{x,y}上に選好を持っている」のように使いわけることができます。

「合理的な選好」の定義を見てみましょう。

定義:

選択肢の集合Tについて、

 

T上の合理的な選好とは、
以下の2つの条件を満たすT上の選好のこと
である。

集合Tの任意の2つの要素をu,wで表したとき、(u,w)(w,u)の少なくとも1つがその選好に属している。→この条件は「比較ができない」が起きないことを要求しています。

集合Tの任意の3つの要素をu,w,lで表したとき、(u,w)(w,l)がその選好に属しているならば、(u,l)も属している→この条件の意味は、「uw以上に望ましくて、wl以上に望ましいならば、ul以上に望ましい」です。


最初の条件はCompletenessと呼ばれ、次の条件はTransitivityと呼ばれます(これらの詳細についてはここでは見ませんが、選好を「理解できるもの」にするための条件であることを抑えてください)。このようにして「合理的な選好(理解できる選好)」という概念を作ります。

なお、教科書によっては今回の「合理的な選好」を「選好」と呼び、今回の「選好」は「順序」と呼ぶことがあります(たしかに今回作った「選好」という概念には先ほどみたように「選好」って単語のイメージからかけ離れたものも入ってきてしまっていたため、そのようにするのも理解できます)。この点は教科書ごとに違うので気をつけてください。

以上で「選好」の定式化が終わりました。もうかなり自分のものになったと思うので、最後にもう一度定義を見てみましょう。スラスラ読めるはずです。

T上の選好とは
集合T\times Tの部分集合のことである。

また、T上の選好Rが与えられたとき以下のように解釈を与える。(u,w)Rに入っているとき「uw以上に望ましい」と解釈し、(w,u)Rに入っているとき「wu以上に望ましい」とする(ただしuwは同じ選択肢でも良い)。

さらに「uw以上に望ましい」が成り立っており「wu以上に望ましい」が成り立っていることを「uwと同等に望ましい」と解釈する。「uw以上に望ましい」のみが成り立っていることを「uwより厳密に望ましい」と解釈する。「wu以上に望ましい」のみが成り立っていることを「wuより厳密に望ましい」と解釈する。どちらも成り立っていないことを「uwの比較はできない」と解釈する。

 

T上の合理的な選好とは、
以下の2つの条件を満たすT上の選好のこと
である。

・Completenessの条件
・Transitivityの条件

 

以上で今回紹介したい概念はすべて紹介できましたが、今一度

T上の選好とは、集合T\times Tの部分集合のことである」

という一文の
簡潔さを是非感じてみてください。

T\times T(直積集合と呼びます)部分集合という概念は、集合論の超基本的概念です。そのような基本的な数学的概念だけを用いて経済学の思考の基盤となる「選好」という概念は作られています。このことから、数学の力を借りながら経済・社会について考えている経済学という学問はこうやって数学の力を借りているんだと感じられる気もします。

最後に

全体像を振り返ります。まず経済学では現実のミニチュア版のような「モデル」をセットアップしてそこから考察を進めることが多くあります。そのときに、各主体の「嬉しさの度合い」のようなものをセットアップしたいのですが、「嬉しさの度合い(の尺度)」を想定するのが妥当であると主張するのは難しそうです。

そこで、「Aさんにとって選択肢xyより望ましい」のように「望ましさの順序」をセットアップします。この「その望ましさの順序」を数学で表現したのが「選好」という概念です。ただし、「選好」の定義は「少し変なもの」も許容していたので、追加で「合理的な選好」という概念も定義しました。

嬉しさの度合い
xが選ばれたら20yが選ばれたら10

言葉によって定めた選好
xyより厳密に望ましい。xxは同等に望ましい。yyは同等に望ましい。

数学の世界に落とした選好
\{(x,x),(y,y),(x,y)\}

Fin.

経済学部の方への補足
授業において、「iさんの選好を\succeq_iで表す」のような表現を見るかもしれません。このように書かれたとき\succeq_iは正確には集合です。つまり\succeq_i=\{(x,x),(x,y),(x,y)\}などです。そして、(x,y)\in \ \succeq_iのことをx\succeq_i yと表しています。このようにすると今回の定義と\succeq_iなどの表記が繋がってきます。

また、「効用関数」は、「嬉しさの度合い」を表してそうですが、あれは「選好を関数で表現したもの」です。つまり「iさんは効用関数u_iを持っています」の意味は「iさんは効用関数u_iで表現される選好を持っています」です。今回扱ったステップからさらにもう一段階工夫を進めたものだと思ってください。この辺の話は林ミクロやMWGをご参照ください。