”魔女の宅急便”を超真剣に見たら学べたこと。

ジブリ作品を参考にするのはどうだろう?」

昨日の金曜ロードショーは真剣に見ることにしていた。

僕は将来、新しいタイプの知的な作品(論文や記事に近いけどより自由な発想で形式から考えたもの)を作ってみたいと思っている。もう少しいえば、優しさと斬新さを持った新しいタイプの知的な作品を作ってみたい。

でも正直なところ、「従来の知的な作品をその形式から考え直すことってできるんじゃないかな?知的な活動にもっと優しさなどの気持ちを入れ込むと素敵なかんじになるんじゃないかな?」という気持ちだけがある状態で、それがどんなかんじの知的な作品になるのか自分でもイメージすらついていなかった。

そこで、最近ジブリ作品に注目していた。なんかジブリの絵が好きなんだよね。平和なかんじというか、穏やかでいて鮮やかというか。ジブリの作品ってこれまであまり見たことはなかったのだけど、きっと僕の感性に合った世界観で統一された1つの完成度の高いアート作品になっているんじゃないかと思い何かヒントを得られそうな気がしていた。もちろん映画と(論文や記事に近いであろう)知的な作品は違うのだけど、「ジブリ作品を見たときような感覚になる」そんな知的な作品を目指すのはありなんじゃないかと思っていた。

今回初めて「魔女の宅急便」を見るにあたって(実はちゃんとジブリ作品を見るのは数作目)、特に気になっていたのは「ジブリ作品は素敵な世界観でどこまで統一しているのか」という点。将来優しさを感じるような知的な作品を作るにしても最初から最後まで優しいかんじだと作品としてまとまる気がしなかった。そこに関するヒントが欲しいと思いながらテレビの前に座った。

さぁ9時になった。


うわ、やっぱり描写が美しい。

海外の街を歩いた記憶が蘇ってくる。

描写に見とれながらどんどん時間がすぎていく。





物語はどうだろう。時々ドキドキする場面はあるけれど、基本的にはスムーズに流れていったように感じた。「予想より平和なかんじがずっと続くんだな」と思いながら見ていた。

そしてついに終盤に入ってきた。描写の美しさと完成度の高さは物凄いと思いつつも、それは見る前からある程度分かっていたことで、あまり驚くような発見はないまま終盤。とはいえ作品としては好きなかんじだったので、あとは純粋に楽しもうという気持ちだった。

「お、これはドキドキだね!」

さすがに気持ちが高まるかんじになってきて、

急げ急げ!って思っていた、その時。









音が消えた。





10秒くらいかな。




ここぞというタイミングで絶妙に。






一瞬心臓を掴まれたような感覚になって、

その余韻を持ったまま最後まで見てしまった。

正直これがなく普通に素敵な世界観のまま終わっていたら、心は動かされなかったと思う。素敵な世界観で心地よく魅せられ続けた中での、心臓を掴む鋭さと静けさ。こんなのもうめちゃくちゃ嫉妬するよね!




でも同時に「うっわ、大事なこと学んじゃったな」と思った。

全体を通して統一されてた素敵な世界観。これは大事。だけどそれだけではたぶん作品として形にならない。作品として形になるにはあり得ないほどの鋭さや静けさも必要なのかもしれない。素敵な世界観で魅了し続けてきた上でのあの10秒。なるほどこれで作品として形になるのか。

優しさを持った知的な作品についても、優しさで統一されているだけでは足りなくて、息をのむような鋭さや静けさが必要なのかもしれない。優しさを持った知的な作品はこうやって形にすればいいのかもしれない。そんなイメージが湧いてきた。

まさかジブリ作品を見ていて、ものすごく鋭い考えを聞かされたときのような感覚にされるとは思わなかった。だけどこれは大きな大きな収穫だった。

Fin.