社会的選択理論のタームペーパーで取り組んだ「Population Ethics」の紹介。
*この記事では、学部上級レベルのミクロ経済学の知識を前提として、僕がタームペーパーで扱った「Population Ethics(人口倫理)」の研究について紹介します。僕のタームペーパーは既存の論文の主張に反例を示して修正を加えた修正論文なので、基本的には分野の問題意識と元論文の紹介になります。
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「政策を取ると社会状態
が均衡として実現して、政策
を取ると社会状態
が均衡として実現する」のような「何が起きるか」の議論をすることも勿論重要ですが、規範的な議論=
と
のどちらの社会状態が社会として望ましいかなどについて考えることも重要です(そのような議論がないと
と
のどちらを取ったらよいか判断できません)。今回の研究はそのような規範的な内容に関するものです。
より具体的には今回は、(その枠組みにおいて定義される)社会状態全体からなる集合についてそこから任意の2つの社会状態を取り出してきたときに、どちらが社会的に望ましいか(or同等に望ましいか)を判断する判断基準をどうデザインするかについて考えていきます。
社会を構成する個人が固定されている枠組み
まずはPopulation Ethicsよりもシンプルな基本となる枠組みを紹介します。
社会(or いま注目している人々の集団)を構成する個人はAさん、Bさん、Cさんの人で固定されているとしましょう。そして例えば
という3次元ベクトルを、「Aさんの嬉しさが
、Bさんの嬉しさが
、Cさんの嬉しさが
である社会状態」と解釈します。数値はなんでもよいのですが他にも例えば
で表される社会状態も考えてみます。
このときと
のどちらの社会状態が(Aにとってなど特定の個人にとってではなく3人からなるこの)社会にとって望ましいでしょうか?
このような、社会状態の比較について考えたいのですが、上のような3次元ベクトル同士を比べる(or 一般的に次元ベクトル同士を比べる)際の1つの案として、「合計を比べる」という判断基準が考えられます。この判断基準は
における嬉しさの合計である
と
における合計である
を比べ、合計がより大きい
の方が望ましいと判断します。
他の案として例えば、「その社会状態における一番低い嬉しさの水準で比べる」も考えられ、これはmaxminと呼ばれる判断基準です。において一番低い嬉しさは
であり、
において一番低い嬉しさは
であるので、この判断基準は一番低い嬉しさがより高い
の方が望ましいと判断します。合計で比べる判断基準も一番低い嬉しさの水準で比べる判断基準もどちらもこのような文脈においてメジャーな判断基準です。
より正確には、ここでは上のSocial Orderingについて考えています(「社会さんの選好」として解釈される
上の完備性と推移性を満たすBinary Relationについて考えています)。つまり任意の2つの3次元ベクトルに対して、どちらの社会状態が社会的に望ましいか(or同等に望ましいか)を判断してくれる判断基準について考えており、その主要な例として上の2つが挙げられるわけです。
ちなみに、嬉しさの値(utilityの水準)を足し合わせたりしていますがミクロ経済学における「効用関数」議論を踏まえると違和感があるかもしれません。社会的選択理論においては必要に応じて個人間で”共通の嬉しさのものさし”があると想定することがあり、合計したり最小の嬉しさの値を比較したりする場合には前提としてそのような立場を取っていることになります(ここでは詳細には立ち入りませんが、この記事に関してはutilityをミクロ経済学的な用語としてではなく日常的な意味での「(人々が実際に感じることができる)嬉しさの水準」というイメージで捉えた方が読みやすいと思います)。
このような上(より一般的には
上)のSocial Orderingについて考えるとしても、つまり、いま見ている「社会を構成する個人が固定されている枠組み」で考えるとしても、先程見たように複数の判断基準が考えられ、規範的な評価基準を作るのは一筋縄ではいかず膨大な研究が蓄積されています。
また、この枠組みにおいては社会を構成する個人が固定されており限定的に思えるかもしれませんが、実は上のSocial Orderingを考えるだけでも多くの問題について規範的議論をすることができます。例えば高校のクラスにおける意思決定(修学旅行の行き先をどこにするか/学級委員として誰を選ぶか)を考えるときには、どこ/誰を選択してもクラスを構成する個人の集合は変化しないと考えるのが妥当なので、上の枠組みで対応できそうです。
社会を構成する個人が変化しうる枠組み
しかし、社会への影響が大きい地球温暖化への対策を考えたり、人口に直接的に影響する子育て支援政策などを考える場合には対応が難しそうです。どの政策を取るかによって「将来生まれてくる人数」が変化することが考えられる、つまり社会を構成する個人の集合が変化すると考えられるからです。すると、先ほどの枠組みでは対応できなくなってきます。
そこで「社会を構成する個人の集合が固定されている」という限定的な枠組みを広げて新しい枠組みで新しいSocial Orderingを考える必要がでてきました。さて、どうしましょう。
これがPopulation Ethicsの問題意識です。*1
先ほどの「社会を構成する個人が固定されている枠組み」においてのSocial Orderingに注目すればよかったですが、今回はその代わりに何に注目したら良いでしょうか(どのような集合上のSocial Orderingについて議論すれば良いでしょうか)?
「社会状態」といったときに、
今回は「誰が社会を構成するか」についての情報も必要になってくるので、と
の比較などではなく、
と
の比較など
をしたくなります。ここでは「1さんと3さんが社会に存在してその嬉しさがそれぞれ8と10である社会状態」と解釈することにします。
ということでどうするかというと、潜在的な個人の集合(社会に存在しうる個人の集合)としてを考え、その有限部分集合
とその部分集合に属する個人の嬉しさについてまとめたベクトル
の組である
を社会状態として定義して、それら全体からなる集合を
とおきます。
そして上にSocial Orderingを考えます。
ーーーーー厳密に定式化するのであればを
と定義した上で(
)、
は
と定義できます。
には
や
などが属しており(このFormで表される社会状態が全部属しており)、その中の任意の2つの要素について比較してくれるSocial Orderingについて考えるとするわけです。
Population Ethicsにおいては、このように定義した上のSocial Orderingを考えることが多いです。これがPopulation Ethicsにおける標準的な枠組みですが、僕が扱ったBlackorby et al.(1997)の研究では、実は社会状態にもう少し構造を入れています。
Blackorby et al.の枠組み
例えば地球温暖化の問題などを考えようとすると、「社会を構成する個人の集合」を可変にする工夫だけではなく、それぞれの個人について「どの時点で生まれてどのくらい長く生きたか」の情報も扱えるようにすると便利そうです。そこで、社会状態の定義にそれらの情報も組み入れます。
彼らの研究において社会状態は、
という形で定義されます。は社会を構成する個人の集合、
はそれぞれの個人がいつ生まれたかを表すベクトルで正確には
は
さんが生まれる1つ前の時点を表します。離散時間を考えており
です(よって一番早い人で1期目に生まれます)。
は
さんの人生の長さ、
は
さんの人生を通しての嬉しさのレベル(lifetime utility level)を表します。
は最大でもこの期間以上は生きられないという人生の長さについての上限で外生的に与えられています。
例えば社会状態は「1さんと4さんが社会を構成して、二人は3+1=4期目に生まれて1さんはそこから8期間生きて(11期目まで生きて)、4さんは4期間生きて、それぞれの人生を通した嬉しさは10である社会状態」と解釈されます。
そしてこのように定義した社会状態全体からなる集合をと定義し、彼らの研究ではこの集合の上のSocial Orderingを考えます。
ーーー厳密には、は今回の枠組みでは次のように定義され直します。
。
また、この研究においては、という嬉しさのレベル(lifetime utilityのレベル)についてはかなり強い情報を持っているという世界観を取ります(世界観という言葉を使っているのは仮に違う想定をしても定式化が同じになる可能性があるからです)。
具体的にはこのutilityの値は個人間比較可能で基数的であると想定されるだけなく、0に特別な意味が込めており、lifetime utilityが0であるとはその人生を歩むことと歩まないこと(つまりずっとunconsciousであること)が無差別であると考えます。つまり正のutilityは「その人生を経験しないよりは経験する方がマシなutility」を表すことになります。ここの解釈の話と仮定の強さについては哲学的な議論も絡むので今回は詳細には立ち入りませんが、とりあえず0には特別な意味が込められており、またutilityは個人間比較もできる非常に情報に富むものとして考えられていることを押さえてください。
ここまでのまとめ
以下のどれを考える場合でも考えているのは、(各枠組みにおける)社会状態全体からなる集合上のSocial Orderingです。
普通の枠組みにおける社会状態
Population Ethicsにおける標準的な社会状態
Blackorby et al.における社会状態
そして、前述の通り普通の枠組みにおいては合計による比較やmaxminと呼ばれる判断基準が有名です。ちなみに合計による比較をする判断基準はutilitarianismと呼ばれその基準は、任意の
について、
であるSocial Orderingとして定義できます。
では、Blackorby et al.における枠組みでは、どのようなSocial Ordringを考えれば良いでしょうか?彼らはこの問題に取り組みました。
公理
より具体的には、先ほど定義した上のSocial Orderingについて、満たして欲しいと考えられる条件(このような条件は公理と呼ばれます)を考えていき、それらの公理を満たすSocial Orderingはこういう種類のもの(こういう表現を持つものに)限られるという結果を彼らは示しました。
つまり、いきなり「このSocial Orderingが望ましそうだ!」と考えるのではなく(実際の研究においてはしばしその手順で考えるらしいですが建前としては)まずはSocial Orderingに要求するのが妥当である条件について考えていき、そこから具体的なSocial Orderingを導くわけです。
ということで上のSocial Ordering
に満たして欲しい条件を考えていきます(長くなってきたので少しだけ紹介します)。
なお表記の問題として、例えば「社会状態」と書かれたあとに
が出てきた場合には
における社会を構成する個人の集合として解釈してください。
についても同様です(基本的には自然に分かるように書くつもりなのでそこまで心配はないはずです)。加えて、Social Ordering
のasymmetric partとsymmetric partをそれぞれ
と
で表します。
最初の公理は匿名性(Anonymity)と呼ばれるものでどの個人についてもその名前によって違う扱いはしないこと(個人を名前によって差別しないこと)を要求します。
公理1:Anonymity
Social Ordering がAnonymityを満たすとは、
任意の2つの社会状態(ただし
)について、
全単射である関数が存在して、任意の
について
ならば、
が成り立つことである。
つまり、社会を構成する個人の人数が同じ2つの社会状態と
を考えときに、
と
の違いが個人の名前だけであるならば(全単射で個人を入れ替えると同じになるならば)、社会的に同等に望ましいと判断されるべき(
となるべき)ということです。これは自然な要求です。
それに比べると、次の公理はこの研究に特有であり、そこまで自然ではないです。
公理2:Birth-Date Conditional Strong Pareto
Social Ordering がBDC Strong Paretoを満たすとは、
任意の2つの社会状態(ただし
、かつ任意の
について
である)について、
(i) ならば
、
(ii) ならば
が成り立つことである。
これは少し読みづらいですが、社会を構成する個人の集合(とそれぞれの個人についていつ生まれるかも)同じである2つの社会状態と
を考えたときに、lifetime utilityのvectorが一致するならば
になってください、lifetime utilityのvectorが
の方が
よりも大きいならば
になってください、ということです。
これは意味合いとしては、「各個人がどのくらい長く生きるかの情報は無視しゃちゃってください」ということと、「utilityは高い分には高い方が社会的に望ましいですよね」ということを要求しています。後者はいいにしても、前者は「人生の長さについても扱える枠組みをわざわざ考えたのになぜその情報を無視することを要求するわけ?」と感じるのではないかと思います。
ちなみに、仮に後者の「(他の部分が動かないのであれば)utilityは高い分には高い方が社会的に望ましいですよね」だけを要求しようと思ったら以下のような公理を考えることになります。
参考:Conditional Strong Pareto
Social Ordering がConditional Strong Paretoを満たすとは、
任意の2つの社会状態(ただし
、かつ、任意の
について
である)について、
(i) ならば
、
(ii) ならば
が成り立つことである。
これなら「(他の部分が動かないのであれば)utilityは高い分には高い方が社会的に望ましいですよね」だけを要求しており、自然な要求に思います。これをさらに強めて「各個人がどのくらい長く生きるかの情報は無視しゃちゃってください」という意味合いも加えた公理を採用しているのは、
おそらくですが、「この研究(彼らの研究)以前にはPopulation Ethicsにおいては人々が生まれて時点や生きていた長さなどにも依存するSocial Orderingは考えられてこなかったので、いきなり両方に依存させるのではなくまずは生まれた時点にだけ依存させるSocial Orderingを考えよう」というかんじかと思います(Introを読む限り事情はもう少し混み入ってますが、少なくとも「どのくらい長く生きるかの情報は重要ではない」と強く主張しているというよりは、今回はそこの情報には依存させないとして、まずは生まれた時点の情報に依存させることにチャレンジしよう、というかんじかと思います)。
ここまでで2つの公理を考えました(AnonymityとBDC strong Pareto)。これに加えて、彼らはSocial Orderingについてさらに6つの公理の定式化を行っています(これらの説明は省略します)。
主張
彼らはここまで考えた公理たちを用いて、あるSocial Ordering(のクラス)を特徴づけました。彼らの主張を見てみます。
Theorem5 (Blackorby et al.)
Social Ordering について(i)と(ii)は同値である。
(i)Anonymity、BDC strong Paretoを始めとする8つの公理を満たす。
(ii)ある(ただしstrictly increasing, continuous and
)が存在して、任意の
について、
が成り立つ。
つまり、もし我々がSocial Ordering に8つの公理を要求したいのであれば2つの社会状態を比較する際に、(簡単のために
と特定化すると、)
例えばであればその評価を
と計算して、このように計算した値の大小によって社会状態同士を比較するしかないとなります。
これが彼らが示したことです。上のSocial Orderingという「どうやって考えたらいいわけ」という代物について、要求したい公理を考えていき、それらの公理を満たすのであれば、こういう種類のSocial Orderingを考える必要がある(具体的なSocial Orderingは
などの値を決めると特定される)、ということを見事に示したわけです。
そして公理によって特徴づけられたSocial Orderingはのような形で社会状態を評価することで比較するもので、経済学の他の分野でも頻出する幾何的な割引をする形になっており、「なんかいいかんじで美しい」と感じるものになっています。
反例と修正ってどういうこと?
ただし彼らの主張は大枠では成り立っているのですが、厳密にいうと反例を示すことができます(ここでは紹介しませんが)。とはいえ、ある1つの公理を少し強めてあげて、またについてある弱い条件を追加してあげると、彼らの主張は依然として通ることも示すことができます。この反例を示す作業と修正する作業が僕のタームペーパーが行ったことです。
最後に
扱っている構造が複雑なだけに長くなりましたが、こんなかんじの研究に取り組んできました。この記事を通して、「規範的な判断基準について考えよう!」という分野がどんなかんじかイメージを伝えられたなら嬉しいです。
Fin.
参考文献:Blackorby, C., Bossert, W., Donaldson, D. (1997). Birth-date dependent population ethics: critical-level principles. Journal of Economic Theory, 77(2), 260-284.
*1:Population Ethicsがどこまで広い言葉なのかは正直よく分かっていないです。「Population Ethicsの中のVariable Populationと呼ばれる領域」みたいに言った方がいいかもしれないです。