*この記事は社会的選択理論の知識を前提にしています。
あるエコノミーが与えられたときに、そのエコノミーにおける配分の集合を、feasibleな配分の集合をとしておく。
この設定のもとで、
論文によっては上のordering(順序)を考え、論文によってはの部分集合(基本的には非空部分集合)を考える。
前者は「このエコノミーにおいて各配分(or 各feasibleな配分)の社会的な望ましさの順序はどうあるべきか」を考え、後者は「このエノコミーにおいてどの配分選べれるべきか」を考える。
これまでは僕は前者のアプローチについて、「何を選ぶべきかが決まれば十分でorderingをわざわざ考える理由ってなんだろう」と少し疑問に思っていた(理由を上手く説明できないでいた)。
でもこれって「社会において望ましいと思われる配分を自分で選べる」という視点に立っているからそうなるわけで(王様の視点?)、自分にはそこまで力がないような場合にはたしかに配分の集合全体についての(or 実現可能な配分の集合全体についての)orderingを考えていたほうが、「最適ではない配分が選ばれるよりも同じく最適ではないが選ばれる方が望ましい」のような判断ができるわけだね。どの配分の集合が最適であるかのみを考える枠組みだとこういう最適ではない点に関する議論はできない。
そう考えるとordringのきめ細やかさはそれなりに魅力的だなと思いました。
Fin.