先日の記事に頂いたコメントへの返信。



先日公開した記事(哲学の問題に数学で挑むってどういうかんじ? )について多くのコメントをはてなブックマークで頂いたので、いくつのコメント(特に技術的な疑問点)について僕の考えを書いておきます。この分野に興味を持ってくださり、ありがとうございました。

この分野は発信者が少ないので慎重かつ誠実なコメントを心がけますが、単なる大学院生の意見なので読み流すくらいの感覚で捉えて頂けると幸いです。

Minimal Increasingnessは一次元と同相だから推移律を満たせば自動的に満たしそう。

 

これは自動的には満たされないです。例えばどんな2つのベクトルを取ってきても同等に望ましいと判断するような(ちょっと極端な)価値判断基準を考えると、これは推移性を満たしますが(イメージとしては全部に対して同等に望ましいと判断しているため特に内部に矛盾はないということです)、minimal increasingnessは満たしません(全部に対して同等に望ましいと判断するということは(3,3,3)(4,4,4)の比較などについても同等に望ましいと判断してしまうからです)。このタイプの高度な疑問を持ってくださり、ありがとうございます。

 

a bかつb ca c」の「推移律」って、自明に仮定して良いのかよく分からなかった。

 

「推移性(記事中の整合性の条件)を満たしていないと価値判断基準として認めない」という風に定義しましたが、「推移性を満たしていなくても価値判断基準として認める」ことにした上で、「価値判断基準に推移性がないよりはあった方がいいから、価値判断基準に要求したい条件として推移性を課す」というように、価値判断基準の定義での段階ではなく後から他の条件と同じように推移性を定式化することにしても大丈夫です(これは論文においてもどちらのパターンを見ることがあります)。

 

また、推移性の要求が強すぎるという意味で気になる場合には、今回は紹介しませんでしたが推移性を弱めた条件を課すこともあります(「正確にいうと「a ≻ bかつb ≻ c⇒a ≻ c」は準推移性と呼ばれることが多くこれの弱め方として「a\succ bかつb\succ cならば、c\succ aではない」などを考えることができます)。それすら課さない=整合性の条件をまるで課さないとするとさすがに価値判断基準として使い物になることが保証されない気がします(もちろんこれは僕の感覚ですが)。

 

>途中まで興味深く読んでいたが、"またそもそも幸せとは何か、幸せをどう測定するかなどについても今回は扱いません"""に。数値化できないものを数学で解析する意味とは。それはまた別の研究なのでしょうか。

 

今回の記事については、そこは一旦認めた上で=幸せと呼ばれるものがあってそれを仮に測定できるとした上で、どういう議論ができるかを考えていると思っていただくのが分かりやすいと思います(ただし実際にはこの分野においてこの種の観点を無視しているかというとそういうわけではないです。特に測定についてはInformational basisなどのキーワードが関連しており多くの研究蓄積があります)。

 

経済学の公平分配は既にパレード最適を目指す、で一致していると思ったが……

 

これは意外と知られていないのですが(経済学のアウトリーチ不足かもしれません)、実際にはそんなこともないです。例えばNo-envy(無羨望)と呼ばれる公平性の概念などはパレート効率性とは異なる規範的な概念としてお調べになると面白いかもしれません。

 

人の幸福以外のものを価値として考える理論はたくさんあって、このやり方ではそういう考えに対応できない。議論としては面白いんだけど視野が狭いというか、数学をやるならそういう前提条件に注意するべきと思う。

 

これはおっしゃる通りだと思います。実際にPopulation Ethicsの分野でも幸福の情報以外の情報(non welfare informationと呼ばれます)を入れ込んだ研究はあります。ただ、やはり幸福以外の情報も入れようとするとそれだけ議論は複雑になりますのでまずは幸福の情報だけを使って基本的な構造を調べるみたいなイメージかなと思います。

 

アローの不可能性定理は知ってたけど、こちらの不可能性定理は知らなかった。問題の設定をいろいろ考えれば、いろんな不可能性定理がありそう。

 

まさにそうです!Population Ethicsの分野に絞っても他にも多くの不可能性定理が存在しています(ましてやアローによって切り拓かれた社会的選択理論という大きな分野では数えきれないほどの不可能性定理があります)。ギバード・サタースウェイトの定理やリベラルのパラドクスなどは社会的選択理論における有名な不可能性定理ですので、ご興味がありましたらそのあたりのキーワードはおすすめです。

 

>個々人の幸福感は定数ではなく関数で表されたほうが現実に即しているのでは

 

これは非常に鋭い点でして、今回は幸福について定数で表していますが実は関数で考えている世界観がベースにはあります(ただしその世界観はいささか扱いづらく、reasonableであると思われている仮定をおくことで今回のような枠組みに簡略化して落としてきているという背景があります)。

 

>この記事の内容は哲学の一部なのか問題について(複数のコメント)

 

タイトルは「哲学の問題に数学で挑むってどういうかんじ?」にしましたが、より丁寧に自分が経済学研究科に所属していることも考慮して表現するならば、「経済学の一分野で、経済"or より広く社会")に関する規範的な問いに数学を使ってアプローチする社会的選択理論*1の研究ってどういうかんじ?」になるかと思います。

 

ただ、Population Ethicsについては、哲学の研究者の中で数学が得意な人たちと、経済学者の中で哲学が好きな人たち(社会的選択理論の研究者)の両者が研究を進めている分野なので、実際に採用したタイトルの表現でもあまり問題はないかなと思っています(社会的選択理論の研究者ばかりが研究しているテーマで哲学者が研究していないテーマというのもありそうですが、その場合は今回のようなタイトルにすると語弊がありそうですがPopoulation Ethicsは両者がやっているはずなので、今回のタイトルにそこまで問題はないかなと思います)。

なお、「哲学」という言葉の使用については、哲学系の学術雑誌に論文を出版しているような人たちの研究領域は「哲学」と呼んでよさそうだと判断しました(ただし、哲学側の細かい事情があったりはするかもしれません)。

 

議論の前提を数学の言葉でより厳密に提示・共有することで、推論が数学的にできるのはもちろん、議論のカバー範囲が明確になり、前提の妥当性の議論もし易くなる。

このコメントはまさに自分がしたかった言語化なので非常に参考になりました。ありがとうございます!

 

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改めまして多くのコメントをありがとうございました。自分では気づかなかったポイントなどもあり勉強になりました。なお、飛ばしてしまった疑問などもありますがこの記事に関する追加のやり取りは基本的にはこれ以上は行わない予定です。

*1:ただし正確には社会的選択理論においては規範的な問い以外に投票の仕組みのデザインなども行います。