たまには辛辣なことを。

昨日の記事駐輪場で「優しさの理論が必要だ!」と思った話。)もそうだけど、このブログの記事って基本的には辛辣なかんじじゃないから、今回は珍しく辛辣なことを書いてみたいと思う(辛辣の意味はあまり分かっていないけど、要は辛口コメントみたいなものだと思っている)。

これ実は言いたいことがあります!

ちゃんとあるよ、辛辣コメントをしたいこと。笑





それは、

何かを初めて体験したときに言われることが多い、「これを毎日やるのは無理だわ。」みたいな発言






いつも気になるんだよね。だってなんで一回体験しただけで、慣れたあとも、同じかんじだと思うわけ!普通に考えて、例えばいま自転車にすいすい乗れる人も、最初は自転車乗るのって大変だったでしょ。すっごく大変だったはず。それなのに今は普通に乗れるわけじゃん。最初に体験したときと、そのあとって負荷がまるで違うはずだよね。

だから、何かを新しく体験したときには、例えば自分が自転車を乗れるようになった経験とかを参照しながら、それに慣れたあとにどう感じるかの感覚を補正して考えるべきだよね。

もちろん、誰かに何かを手取り足取り教わったあとに、「これは大変だわ〜絶対毎日なんてできないわ〜」みたいに言うことで、相手をおだてるってこともあると思うけど(僕はこういうことしないけど)、どうにも「補正ちゃんとかけているわけ?」とつっこみたくなる場面がそれなりに多くある。

関連することとして、勉強をしていて「うっわこの手法は自分は絶対にできるようにならないな」と感じる手法(や領域)に出会っても、これも難易度の見立てに補正をかけた方がいいよね。

例えば僕の場合は初めてゲーム理論の授業を受けたときには何がなんだか分からなかったけど、数式の読み方を理解するようになってからは、本当にすごくシンプルにしか見えないようになってきて、いまはとても簡単に感じる。だから、いま新しい手法に出会ったときにも、このときの経験を参考にして難易度の見立てに補正をかける。


もっといえば、ゲーム理論以外にも色々な分野を学んできたわけだから、それぞれの分野の特性と最初にその分野に触れたときの感覚とそのときに見立てた難易度と実際にどうだったかなどを総動員して、多角的に補正した方がいいやろと思う。

何かに初めて触れたときに感じる「これは自分には大変だ」「これは自分には難しい」については、補正をかけないの意味分からない〜。

前から思っていたので、書いてみました。

よし、結構辛辣なかんじになったぞ!笑

Fin.