松井先生コアミクロの補足:アローの不可能性定理。

 

僕が前に書いた「アローの不可能性定理」に関する記事アローの不可能性定理の証明 )を参照しながら松井先生のコアミクロを受けている方がいると聞いたので、そのような方のために(対象者はすごく絞られるけれど)、松井先生のコアミクロで扱われるアローの不可能性定理について補足説明する記事を書いてみる。

なお、松井先生のコアミクロを受けている人以外は、この記事を読むと他の教科書を読むときに混乱しがちだと思うので注意してください。また授業スライドにおいて「why?」となっている部分(自分たちで考えてねという部分)についてはヒントも書きません。想定している読者は松井先生のコアミクロを現在履修中で、アローの不可能性定理の箇所について、「より厳密に書くとどうなるんだろう」と気になっている人です。

*この記事で飛ばした箇所について追加の補足記事を書きました(松井先生コアミクロの補足:Asymmetric Part や Symmetric Part)ので合わせてご覧ください。


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公開されている(UT Economics_Aki Matsui - Microeconomics I 2022)授業スライド1のP14を見てみる。


以下で行うのは、この定式化をより理解しやすいと僕が思う形で再構築すること(ただし再構築の仕方はいくつか考えられるのでTAさんの再構築と異なる可能性はあります)、および、アローの定理の証明も含めた全体像について説明することである。

言葉による概略

(松井先生の授業における)アローの定理の主張とは、「6つの条件を満たす社会的厚生関数は存在しない」である。

まず社会的厚生関数とは、『各個人の選好を並べた「選好プロファイル」がーーーのときには、「社会さん」の選好はこれにしましょう、「選好プロファイル」がーーーのときには「社会さん」の選好はこれにしましょう』のように、各選好プロファイル(個人の選好を組にしたもの)に対して1つの選好(これが社会さんの選好と解釈される)を対応させる関数である。ここでは厳密な定義ではなく単にイメージとして、各個人の選好を組にした「選好プロファイル」に対して社会の選好を1つ割り当てる関数のことを社会的厚生関数と呼ぶことを抑える。つまり、「社会さんの選好の作り方のルール」が社会的厚生関数である。

また注意点として、ある関数が「社会的厚生関数」であるからといって、そのドメイン(定義域)が何であるかは分からない。社会的厚生関数のドメインは今回の定式化においては「選好プロファイル全体からなる集合の部分集合」であれば何でも良い(ただし空ではない)。つまり、ある社会的厚生関数は、10個の選好プロファイルからなる集合をドメインに持つ関数かもしれないし、他の社会的厚生関数は20個の選好プロファイルからなる集合をドメインに持つ関数かもしれない。ただし、終域については固定されている(社会的厚生関数といったらその終域が何であるかは決まっている)。なお、UDの条件はUnrestricted Domainと呼ばれるもので、「ドメインに制限をかけるべきではない」という条件である。つまり、社会的厚生関数FがUDを満たすとは、「Fのドメインは選好プロファイル全体からなる集合に一致している」ことである。「社会的厚生関数」というだけではドメインは分からないが「UDを満たす社会的厚生関数」と言った場合にはドメインは特定されることになる。

UDについて先に扱ったが、他の5つの条件についても社会的厚生関数に満たしていて欲しい条件である(6つの条件はいずれも社会的厚生関数という「関数」についての条件である。これを押さえるのが各条件を理解する上でのポイント)。なおMOについては実はなくても構わない条件であり、証明を簡単にしたいなどの理由から入れていると思われる。

全体像をまとめると、

まず簡単なセットアップをして(選択肢の集合とか個人の集合とか)、その上で「社会的厚生関数」と呼ばれる概念を定義して、そして社会的厚生関数に満たしていて欲しい条件を6つ定式化する。ここまでが準備パート。

その上で、「その6つの条件を満たす社会的厚生関数は存在しない」という形で主張を作る。これがアローの不可能定理の主張。あとは証明であるが、これは背理法で行われる。つまり最初に、6つの条件を全て満たす社会的厚生関数Fが存在すると仮定する。すると、そのFのもとでは独裁者が存在してしまうことが示されることになる。しかしこれは、FがND(Non Dictatorship)という「独裁者が存在しない」という条件を満たしていることに矛盾。よって6つの条件を全て満たす社会的厚生関数は存在しないと示された、という手順になる。なお、スライドにでてくる「Pivotal」という概念は、固定しているFのもとで(背理法の仮定において取ってきた社会的厚生関数Fのもとで)独裁者が存在してしまうことを示すのに役立つ概念である。

以上の全体像を踏まえた上で定式化を見てみる。証明については丁寧には扱わないが、主張の定式化までは丁寧に見ていく。ただし、ここから先は「選好とは二項関係(Binary Relation)のことである」「x\succeq_i y(x,y)\in \succeq_iの略記である」などが分からないと辛いと思うので、分からない場合にはこちらの記事を先に読んでください(「選好」の定式化をちゃんと説明してみた。)。またそちらは理解しているがAsymmetric Partなどについて理解が不十分な場合にはこちらをご覧ください(松井先生コアミクロの補足:Asymmetric Part や Symmetric Part。)。


丁寧な定式化

選択肢の集合をX(選択肢は3つ以上で有限)、個人の集合をI=\{1,...,n\}(個人は2人以上で有限)とする。授業においてはXIを特定しているが、このようにしても表記は特に変わらない。おそらく唯一授業スライドと違うところがあるとすればnになっている部分で、これは適宜n3だと思えばよい。

ここでX上の選好全体からなる集合を\mathcal{B}とする。\mathcal{B}の中には合理的ではない選好も含まれている。次に、集合\mathcal{B}の中で、完備性、推移性、Strictness、を満たすもの全体からなる集合を\mathcal{D}とする。なお、選好B\in \mathcal{B}について、完備性、推移性、Strictnessはそれぞれ以下のように定義される。

完備性:\forall k,l\in X, (k,l)\in B\  \lor \ (l,k)\in B
推移性:\forall k,l,v\in X,[(k,l)\in B\ \land\  (l,v)\in B] \Rightarrow (k,v)\in B
Strictness:\forall k,l\in X, [(k,l)\in B \land (l,k)\in B]\Rightarrow k=l

最後の条件については標準的な名前が分からなかったので、Strictnessにしてみた。これはP14のAssumeの文の条件式を参考に作っているが、スライドにおける「klが無差別ではない」という表記が面倒だったのでその部分の対偶を取っておいた(すると「無差別である」つまり「(k,l)\in B \land (l,k)\in B」と書ける)。

ここまでをまとめると、まず選択肢の集合Xと、個人の集合Iがあって、次に社会的厚生関数を定義したいのだがその準備として、\mathcal{B}\mathcal{D}という集合を定義した。\mathcal{B}X上の選好全体からなる集合、\mathcal{D}\mathcal{B}の部分集合で、\mathcal{B}の要素のうち3条件を満たすものからなる集合である。\mathcal{B}の中には意味不明な選好も含まれているが、\mathcal{D}の中には(3つの条件を満たしているという意味で)意味不明な選好は含まれていないことに注意。

もう少し社会的厚生関数を定義するための準備を進める。各個人i\in IX上に選好\succeq_i\in \mathcal{D}を持っているとして、それを組にした(\succeq_1,\cdots,\succeq_n)\in \mathcal{D}^nを選好プロファイルと呼ぶ。潜在的に可能な選好プロファイル全体からなる集合は\mathcal{D}^nであるとする(つまり\mathcal{D}\times \cdots \times \mathcal{D}という直積集合)。ここまで準備をした上で社会的厚生関数を定義する。

社会的厚生関数とは、関数F :E^n\rightarrow \mathcal{B}のことである。ただしE\mathcal{D}の空ではない部分集合。*1

注意点としてFのinputは選好プロファイルであるから(\succeq_1,\cdots,\succeq_n)\in Eのように書かれるものであるが、それをFで飛ばした先のF(\succeq_1,\cdots,\succeq_n)\mathcal{B}の要素であるから、これはX上のBinary Relationである。つまり、(k,l)\in F(\succeq_1,\cdots,\succeq_n)などの表記は正しい。


また、これより先F(\succeq_1,\cdots,\succeq_n)と書くのが面倒であったり、特にF(\succeq_1,\cdots,\succeq_n)のAsymmetric PartやSymmetric Partを書くのが面倒であることも多いので、場合によっては、\succeq\succ\simと書くことにする。このような下にiなどがついていない選好の記号が出てきた場合には、それぞれF(\succeq_1,\cdots,\succeq_n)、そのAsymmetric Part、Symmetric Partのことである。つまり下付き文字がない選好の記号は「社会さんの選好」の話である。なお、\succeqのように書いた場合にはinputの選好プロファイルは文脈から自明なものとして省略している。

ここまでで社会的厚生関数のセットアップが終わった。あとは、社会的厚生関数に関するAxiomを定式化すればアローの定理の主張に入れる。

UD:社会的厚生関数F :E^n\rightarrow \mathcal{B}がUDを満たすとは、E=\mathcal{D}が成り立つことである。

RA:社会的厚生関数F :E^n\rightarrow \mathcal{B}がRAを満たすとは、任意の選好プロファイル (\succeq_1,\cdots,\succeq_n)\in Eについて、 F(\succeq_1,\cdots,\succeq_n) が完備性、推移性、Strictneessを満たすことである。

PO:社会的厚生関数F :E^n\rightarrow \mathcal{B}がPOを満たすとは、 任意の選好プロファイル (\succeq_1,\cdots,\succeq_n)\in Eと任意の2つの選択肢k,l\in X, について、[\forall i\in I  \ k\succ l] \Rightarrow k\succ lが成り立つことである。

ND:社会的厚生関数F :E^n\rightarrow \mathcal{B}がNDを満たすとは、以下を満たす個人i\in Iが存在しないことである。 任意の選好プロファイル(\succeq_1,\cdots,\succeq_n)\in E と任意の2つの選択肢k,l\in X, についてk\succ_i l \Leftrightarrow k\succ l

IIA:社会的厚生関数F :E^n\rightarrow \mathcal{B}がIIAを満たすとは、任意の2つの選好プロファイル(\succeq_1,\cdots,\succeq_n), (\succeq_1',\cdots,\succeq_n') \in Eと任意の2つの選択肢k,l\in X,について、 [\forall i\in I \ k\succ_i l \Leftrightarrow k\succ'_i l\Rightarrow   k\succ l \Leftrightarrow k\succ' lが成り立つことである。

最後のMOを定義するために定義を1つ導入する。選好プロファイル(\succeq_1,\cdots,\succeq_n)と2つの選択肢k,l\in Xに対してI_{kl}(\succeq_1,\cdots,\succeq_n)を集合\{i\in I\ | \ k\succ_i l\}と定義する。つまり、その選好プロファイルにおいてklよりも厳密に望ましいとしている個人の集合がI_{kl}(\succeq_1,\cdots,\succeq_n)である。

MO:社会的厚生関数F :E^n\rightarrow \mathcal{B}がMOを満たすとは、任意の2つの選好プロファイル(\succeq_1,\cdots,\succeq_n), (\succeq_1',\cdots,\succeq_n')\in Eと任意の2つの選択肢k,l\in X,について、[k\succ l\  \land \  I_{kl}(\succeq_1,\cdots,\succeq_n)\subsetneq I_{kl}(\succeq'_1,\cdots,\succeq'_n)]\Rightarrow k\succ' lが成り立つことである。

表記について。例えばPOの最後にk\succ lと書いてあるが、丁寧に書くのであれば「[(k,l) \in F(\succeq_1,\cdots,\succeq_n)] かつ [\lnot (l,k)\in F(\succeq_1,\cdots,\succeq_n)]」のように書くこともできる。このへんはF(\succeq_1,\cdots,\succeq_n)があくまで二項関係であることを思い出すと理解しやすい。またRAについてはスライドには入っていないStrictnessも加えておいた。これはスライドの「They try to construct the ”strict” preference」と書いてあるのを反映したためである。*2

以上のもとでアローの不可能性定理は、次のように述べられる。

定理:UD、RA、PO、ND、IIA、MOをすべて満たす社会的厚生関数は存在しない。

ここから証明に入っていくわけだが、背理法を用いる(松井先生の証明のスライドでも書いてはいないが背理法を使っている)。

背理法で示すために、ある社会的厚生関数F :E^n\rightarrow \mathcal{B}が存在してすべての条件を満たすとする。このFについてこれから見ていく(背理法の仮定は少なくとも1つの社会的厚生関数が存在して6つの条件を満たす、ということ。少なくとも1つはそのような社会的厚生関数があるとのことなので、複数ある場合にはその中の1つの社会的厚生関数に注目してそれを固定して話を進める)。背理法の仮定を述べた段階から(つまり最初から)最後まである社会的厚生関数Fが固定されて話が進んでいることに注意。

この固定したFはNDを満たしているので、このFのもとでは独裁者は存在しないはずであるが、実は独裁者がこのFのもとで存在してしまうことをこれから示していくことになる(これが矛盾になる)。なお、独裁者の定義はNDを定義したところで出てきているが*3、これから定義する「i(k,l)についてpivotalである」というpivotalの概念を使うと、MOを満たすFのもとでは、「iがすべての(k,l)についてpivotalであること」と「iが独裁者であること」が同値になるから、独裁者が存在することではなくて、任意の2つの選択肢について(任意の2つの異なる選択肢についてとしてもよい)pivotalになるiが存在することを示せばよいことになる。

Pivotalの定義をちゃんとしておく。

社会的厚生関数F :E^n\rightarrow \mathcal{B}のもとで、個人i\in I(k,l)についてpivotalであるとは、ある選好プロファイル(\succeq_1,\cdots,\succeq_n)\in Eが存在して、k\succ_i l\  \land \  [\forall j\ne i \ l\succ_j k] \ \land \ k\succ lが成り立つことである。

つまり、その選好プロファイルにおいてiさんだけがklより厳密に望ましいと言っていて、他の人はlの方が厳密に望ましいと言っていて、かつその選好プロファイルをいま注目しているFで飛ばした先においてklよりも厳密に望ましいとされるような、選好プロイファルが1つでも存在するとき、そのFのもとでiさんは(k,l)についてpivotalであると言われる。

授業スライドの証明をみると、コンドルセパラドクス(で出てくる選好プロファイル)を考えることで、いま固定しているFについて、あるiさんが存在して、そのiさんはある選択肢の組(k,l)についてpivotalになっていると主張している(ここの導出は宿題だと思うので書きません)。つまり、背理法の仮定で固定したFについて、そのもとで何かしらの選択肢の組についてpivotalになっているiさんが1人はいることを示したわけである。それ以降は何をしているかというと、このiさんが独裁者になっていることを示している。もう少し丁寧にいえば、コンドルセのところで見つけてきたiさんが”すべての選択肢の組について(すべての異なる選択肢の組について)"pivotalになっていることを示している。すると先ほど言及した同値性からiさんが独裁者だと言えることになる(いま固定しているFはMOを満たすので、そのFのもとですべての選択肢の組についてPivotalな個人iはそのFのもとで独裁者になる)。よってFがNDを満たしていることに矛盾して証明終了。

 

ラフではあるがこれが証明の全体像である。もう一度言うと、証明は背理法で、仮定として6つの条件を満たすFを固定した上で、最初にコンドルセのパラドクスの選好プロファイルを考えることで、あるiさんが存在して、そのiさんはある組(k,l)についてpivotalになっていることを示す。その後はそのiさんに注目して話を進めていき、そのiさんが独裁者であること示すという手順である。

最後に

・IIAなどの各条件の解釈についてはこちらの記事を参照ください( アローの不可能性定理の証明 )。ただし定式化が少し異なるので注意。具体的には、向こうの定式化では、本来いらないMOを削除した上で、UDとRAについては「社会的厚生関数」の定義に入れ込んでいる。また、Strictなpreferenceだけでなく無差別なPreferenceも許容していることから、細かい表記も異なっている。とはいえ、この記事を読んでいれば「たしかに定式化が違うな」とは感じつつも混乱することなく読めると思われる。

・この記事のように定式化できるのは分かったとしても授業の表記と異なるから宿題において困ってしまうかもしれない。これについては2つの解決法がある。まずはこの記事を参考にして自分で最初から定式化してしまうことである(それがしやすいようにこの記事は丁寧に書いたつもり)。正直アローの定理については割と扱いづらい表記だと感じる人が多いことはTAさんも理解していると思うので新しい表記にしても問題はないと思う。もう1つは授業の表記にしたがう方法だが、その場合でも完全にスライドにしたがうのではなく、自分が理解しやすい形に表記をある程度は調整した方がやりやすいとは思う。なお、この記事をもとにスライドを理解しようとする際には「\succeqは社会的厚生関数を指している(もしくは社会的厚生関数に何かしたらの選好プロファイルを入れたものを指している)」と解釈すると良い。


Fin.

*1:言葉遣いとしては、社会的厚生関数と呼ぶなら定義の時点で終域にRationalityを課しておきたい気もするが細かい話なので置いておく。選好集計ルールとかでも良いかもしれない。

*2:もし宿題などでこの記事の表記を使うのであればRAという名前ではなくRA+STのように公理の名前を変えるなどの工夫をすると良いと思う。また、RAをスライドに沿って2条件だけを課す形にしておいて、代わりに社会的厚生関数の定義を少し変えて終域を\mathcal{B}ではなくそこにstrictnessの条件を課して終域の範囲を絞ってしまうやり方もある。スライドの文章のニュアンスとしては後者ではあるが、前者の方がRAの所で書いたようにStrictnessと完備性と推移性を並べて書くことができて個人的には好きだったのでこのようにしてみた。宿題の作成においてはどちらでも良いと思うが、宿題の解答を読む際にはTAさん次第なので注意。

*3:もし丁寧にやりたいのであれば、「社会的厚生関数Fのもとで個人iが独裁者である」とは、NDを定式化したところの「任意の」から最後までの部分で定義すれば良い。