税金を「調和」という観点から見てみる。

*この記事は一般向けに「内部化」について紹介したものです。

初級の経済学でよく出る話として以下があります:企業が何かを生産するとする。そして、その生産1単位あたり近隣住民への被害が10円分だけ生じるとする。そこで企業にその10円を負担してもらうことにすれば(外部性を内部化する)、社会的に望ましい生産量に落ちつく。

この話、実はよく理解できていませんでした。しかし、大学院の授業で「これ(内部化)は調和を作り出す技術なんだ!」と気づいてから、ようやく少し理解できました。

自分の専門ではないですが、「あぁ美しい技術だな」と思ったのでそのエッセンスを紹介します(厳密にいうと以下の話は冒頭の話と少し枠組みが少し異なっています)。


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企業Aの意思決定を考えます。

この企業が直面している選択肢はa_1, a_2, a_3, a_44つです。企業Aはこの中から1つを選択する必要があります。例えば、冷蔵庫を生産している会社だったらa_1を冷蔵庫の生産をやめる、a_2を少しだけ冷蔵庫を生産する...のように解釈してもいいかもしれません。解釈は基本的になんでも大丈夫です。

このとき、企業Aにとっての各選択肢に対する金銭的価値が図のようだったとしましょう(利益だと捉えるのが分かりやすいとは思いますが企業Aにとっての全てのbenefitを金銭換算したものと思ってもいいです)。b(a_1)a_1を取ったときの企業Aの金銭換算したbenefitを表します。このとき企業Aはb(\cdot)を最大化するような選択肢を選ぶとします。

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このケースであれば選択肢a_3が選ばれます。

しかし、a_1が選ばれると近隣住民は100だけの負担を被るとしましょう。また、他の団体Dは90だけbenefitを得るとしましょう。a_1が選ばれたときの近隣住民への負担をc(a_1)、他の団体Dのbenefitをd(a_1)と表します。

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そして、「社会の目的(社会さんの観点)」からすると、b(\cdot)-c(\cdot)+d(\cdot)を最大化する選択肢が望ましいとしましょう(つまり社会は企業Aも近隣住民も団体Dも同じように扱う価値観を持っています)。企業の目的はb(\cdot)の最大化ですが、社会の目的はb(\cdot)-c(\cdot)+d(\cdot)の最大化であり、ここにズレが生じています。

その結果、社会としてはb(\cdot)-c(\cdot)+d(\cdot)を最大化してくれるa_2が望ましいですが、このままでは企業Aはa_3を選択することになります。

そこで内部化です。企業Aがa_1を選んだら、政府は-c(a_1)+d(a_1)=-100+90=-10だけお金を企業Aに渡すことにしましょう(-10だけ渡すとは10だけ税金を徴収すると解釈します)。同様に、a_2なら-c(a_2)+d(c_2)a_3なら-c(a_3)+d(c_3)a_4なら-c(a_4)+d(c_4)だけそれぞれ企業Aに政府が渡すとしましょう。

この税金・補助金ルールのもとで企業Aの視点に立ってみると、a_1を選んだときの企業Aの合計benefitはb(a_1)-c(a_1)+d(a_1)となります。他の選択肢についても同様です。このようにすれば企業Aは社会にとって望ましいa_2を選ぶことになります。

ここでのポイントは、お金を徴収したりお金を支給したりする「税金・補助金の仕組み」を用いることで、企業Aの目的と社会の目的が「調和」していることです(このケースでは一致しています)。

僕が最近まで誤解していたのは、他人が被る被害を企業に負担してもらうのが本質だと思っていた点でした。何を言いたいか明らかにするために、社会の目的をb(\cdot)-c(\cdot)+d(\cdot)から、b(\cdot)-2c(\cdot)+0.5d(\cdot)としてみます。つまり先ほどの「社会の目的」において、企業Aと近隣住民と団体Dの金銭的benefit(or コスト)は同等に扱われていましたが、今回の「社会の目的」においては近隣住民のコストを他よりも重視することにして、団体Dのbenefitは重視しないことにします。

このときの内部化はどうなるでしょうか?

今回は、a_1を選んだときには、-2c(a_1)+0.5d(a_1)=-200+45を企業Aに渡すことになります。他の場合も同様です。このような仕組みにすれば企業Aの目的も社会の目的もb-2c+0.5dで一致します(\cdotは省略しました)。社会の目的に一致させる(調和される)のが大事ということです。

また、社会の目的をb-c+dに戻した上で、例えば企業Aがそもそも自社のbenefitと近隣住民のcostを重視する企業だったらどうでしょうか?つまり企業Aは税金や補助金などがなくともb-cを最大化するわけです。このときは、例えばa_1のときにはd(a_1)を渡すようにすることで、社会の目的と企業Aの目的が一致することが分かります。

あくまで大事なのは、お金の仕組みを丁寧にデザインすることで、社会の目的と企業Aの目的を調和させることです。

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なお、ここではあえて「調和」と「一致」の2つの単語を使っています。今回の例では企業と社会の目的が完全に一致させましたが、「調和」という言葉はもう少し緩く使うことを想定しています。

 

例えば以下の例を考えてみます。登場人物は先生と生徒で、選択肢はm_1,m_2,m_3,m_4,m_5です。このとき先生はm_1のとき100m_2のとき200m_3のとき300m_4のとき400m_5のとき500のbenefitを得ます。また、生徒はm_1のとき10m_2のとき20m_3のとき30m_4のとき40m_5のとき50のbenefitを得ます(そして先生と生徒はそれぞれ自身のbenefitを最大化したいとしましょう)。

このとき、先生と生徒のbenefitは一致してはいませんが、「調和はしている」と言いたくならないでしょうか?内部化は目的の「一致」の技術というより「調和」の技術というかんじなので言葉を分けてみました。



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社会の目的と各主体の目的を調和させる。この観点から税金・補助金の役割を見てみるのも面白いかもしれません。*1最後に松井彰彦先生がTwitterで紹介していた言葉を載せて終わりにします。

人間社会という巨大なチェス盤では、各々のコマがそれ自身の行動原理に従う。それは為政者が押し付けようとするものとは異なる。もし両者が合致するなら人間社会というゲームは調和的に進む。他方、両者がうまく合致しないと、ゲームは悲惨なものとなり、社会には無秩序状態が訪れる。アダム・スミス


Fin.

*1:いくつか細かい箇所を補足しておきます。まず、「調和」や「一致」という言葉が使いましたが「お金によって調整された」調和や一致は本当の意味での「調和」や「一致」なのかという論点はあると思います。

次に、現実ではそうではないケースが多いはずですが、今回は表に書いてあるbenefitとcostの情報についてはpublicly knownなものとして扱いました(暗にそのように想定したモデルを考えました)。その場合、どの選択肢が社会にとって望ましいか分かっているのだから(基本的にはa_2が望ましい)、a_2にだけ報酬を出してその他には税金を多くとるように雑に設計しても、企業Aは一番望ましいa_2を取ってくれるからそれでもいいのでは、というツッコミはあるように思います。社会的に望ましい選択肢が選ばれることだけに注目するのであれば今回のようなやり方でなく、そのようなやり方でも達成はされます。ただ個人的な感覚としては、「この選択肢が社会的に望ましいからこれをほぼ強制的に取ってもらうよ」よりも今回のような調整の仕方の方が望ましい気はします。

また、「『お金を企業Aに渡す』とか言っているけど、それって税金の無駄遣いにならいないわけ?」というツッコミをありえます。これについては、今回は税金については政府が持っているのでも企業Aが持っているのでもそれは「日本国民」の中での金銭の移転というだけで、そこについては政府は気にしないと考えています。