グラフを立体で表示するのってダメなんだっけ?

Twitterを見ていたら、こんなグラフが出てきた。
注目したいのは内容ではなく、グラフの表示方法だ。



棒グラフが立体になっている。

提供する情報の観点からすると立体にする必要はないのに立体にしているグラフをたまに目にする。僕は、高校3年生の時に、「意味もなく立体のグラフにしてはいけない、基本的には普通のグラフを用いるべき」と新人コンサル向けの本で読んでから、自分ではやらないようにしてきた。

また、その後も大学の授業などで同じアドバスを聞いたりしたので、深く考えずに立体表示は避けるようにしてきた。ただ、「一般的に言われているほど絶対にそうしない方がいい」と思ってはいなかったし、なんなら「本当に立体表示ってよくないのかな?どうなんだろ」とモヤモヤしていた。

で、先ほどの資料を見たときに、ふと気づいた。




立体にすると「手触り感」があるね。

逆にいうと平べったい一般的なグラフだと、「手触り」というか「質量」を感じない。先ほどのグラフがどこまで理想的かは置いておくが、立体表示一般については割とメリットもありそうだ。

なぜ「手触り」「質量」などにピンときているかというと、それは僕が「データを見る」という行為だけに注目していないからだと思う。もう少し言うと、「データを表示するときには、データを論理的に読み解いたり、情報をクリアに提供するのを重視すべきである」みたいな考えに違和感を感じている。だって、よく考えると、Aさんがデータを見るときに、Aさんに求められる頭の働きはデータに対する知性だけではないはずだ(数字を把握したりするだけではないはずだ)。全体的な構造の理解や、現場を見に行ったときに感じた感覚、その事案の歴史的背景、最初にその事案について知ったときのワクワク感など、色々な頭の働きを総合的に使うことが求められるはずだ。

我々には多くの場合、色々な知性を総合的に使うことが求められているし、データに関する資料についても、一連の複合的な知的な流れにおいてどう位置付けるのが良いかと考える方がしっくりくる。

ーーーーーー
グラフを立体で表示することが常にいいとは主張しないし、僕自身もこれからも平べったいブラフを使おうとすることは多いとは思う。

だけど、プロジェクトのフェーズや文脈によっては、例えば「全体感の規模感について感覚を掴めること」や「どこの売り上げをどこに動かしてどう計画を組み立てるか」などの感覚を掴むことが重要になることもあると思うので(どの数字をどう動かしてどう組み立てるかについて考えるのならば積み木のようになっている立体グラフは相性がいいように思う)、そのような場合には立体表示にも一定のメリットがあるはずなので必要に応じて使っていきたい。

自分たちは色々なタイプの知性を組み合わせて使っている、ということに意識的になりながら、状況ごとに適切な色々な表示を工夫して探していけたらと思う。

Fin.