(続き)需要曲線と供給曲線ごめんなさい

1つ前の記事で需要曲線と供給曲線を使った中学校で習う図について「あれは当時驚きをもって受け止めるべき内容だったんだな」と気づいたことを書いた(需要曲線と供給曲線ごめんなさい)。


前の記事は、需要曲線と供給曲線を使った分析の内容ではなく「2本の線で経済を分析しようとするのって面白いよね」というそこで使われている知恵の種類についてであったが、当時の自分はあの分析の内容についてもまったく理解できていなかった。そこで今回は内容について触れてみたい。

ただしよく考えてみると思ったより奥が深くて包括的な説明はできる気がしないので、経済学を学ぶまで意識していなかった、勘違いしていたポイントを高校生の自分に説明するつもりで書いてみようと思う。




ポイント1:そもそもどういう場面で使う知恵なのか。

まず、この図は基本的には1つの財(例えば、リンゴや鉛筆)について分析するときに用いる。経済をまるっと分析するというよりは、1つの財について分析するかんじ。例えば自分が政府の役人で、

「鉛筆に関して新たな税金をかけることを検討しようと思っているが、どう考えたらいいか分からないな。よし、まずは鉛筆を作っている人へのインタンビューとかをして理解を深めよう。他にも、関連がありそうな消しゴムとかについての現状の制度について調べよう。そういう現状を知ったり歴史を知ったりする作業をしつつ、もう少し多角的に考えるために、数式(やグラフ)を使った分析もしてみよう。その際には経済をまるっと扱うように数式を考えてもいいけど、一旦ここでは鉛筆という財に絞って考えてみよう。」

みたいなかんじで使う分析だと思うのが分かりやすいと思う。またもちろん、鉛筆に税金かけたときにシャーペンの市場にどんな影響が出るのかに特に注目したい場合などには今回の図のような分析は合わないだろう。対して、鉛筆の生産過程で出る有害物質について税金で上手く対応できるか検討したいみたいな話であれば割と「鉛筆という財の市場」に注目するのが妥当そうなので、今回の図のような分析を考えるのは良さそうだ。

ポイント2:現実とのリンクについて。

この図では(今回考えているモデルでは)時間などは考慮されていないし、各消費者、各生産者がどういう人たちなのかなどの情報は入っていない(総体として扱っているだけだから。もちろん各消費者や各生産者を個別のものとして扱うモデルを構築することもできる)。「現実の経済はこんなに単純じゃないのにこれでいいわけ?」と思うかもしれない。

 

これについては注意すべき点として、

「モデル(思考するために組み立てる簡単な世界)」を用いて考えるときには「モデルを現実に近づけすぎればすぎるほど良い」というわけではないことは押さえてとくと良いと思う。現実の特定の側面について理解を深めたかったり、注目しているテーマの特定の構造について興味があるならば、むしろ細部を入れ込んだモデルを作ると考察がしづらくなる可能性がある。

また、もちろん経済学においても2本線だけでずっと議論をしていくわけでもなく、適宜そのとき考えたいテーマに即して線を足したり場合によっては新しい概念を付け加えたりもする。そういう意味では多くの分析の1つの起点になる図だと思っても良いかもしれない(ただしこの図だけからも実際には色々と分かったりする)。

 

ポイント3:2つの曲線は(基本的には)縦軸を起点に見る。

2つの曲線(今回は直線で書いたが直線も曲線の一種だと思えば曲線と呼んでもよいだろう)は需要曲線と供給曲線であるが、これらはどのように見るかというと、需要曲線とは価格と需要量のペアを集めたものであり、「価格がこの値のときには消費者は(合計で)これくらい欲しがるだろう、価格がこの値のときは消費者は(合計で)これくらい欲しがるだろう」という情報を表している。供給曲線も価格と供給量のペアを集めたものであり、「価格がこの値のときには生産者は(合計で)これくらい売りたがるだろう、価格がこの値のときは生産者は(合計で)これくらい売りたがるだろう」という情報を表している。

つまり、2つの曲線はどちらも縦軸から見るべきものであり(価格を起点に見るべきものであり)、価格がこれのときはこれだけの量欲しがるわけね/売りたがるわけねという価格と量の関係についての情報を表している。

数学などをやっている人は普通はグラフってのは横軸を起点にみるものだろと思うかもしれないが、これは経済学のこの図を使うときの慣例である(見づらいとは思っているけどね)。

ポイント4:曲線で書くべき?直線で書くべき?

需要曲線も供給曲線も今回は直線で書いたが、もっと曲がったかんじに書いている教科書もある。別にこれはどちらでも良いとは思う。大事なのは、例えば直線で書いた図を用いた分析である結果が得られたときに、「この結果は、直線で書いたことに起因するのかな?もしいわゆる曲線(曲がった線)で書いたら同じ結果は得られたかな、チェックしておこう」のように直線の場合と曲線の場合の両方を一応考えることだと思う。そいういう意味ではまずは分かりやすい直線で考えて、その後得られた結果が曲線でも得られるかの確認をする流れが個人的にはやりやすいと思うので直線で書いてみた。

また、直線で得られた結果がいわゆる曲線だったとしても得られるかを確認する際に、どこまで変な曲線まで考慮すべきかという話はあると思う。「直線で得た結果は、直線をこういう曲げ方をすると得られなくなってしまうな」とかが発見できたら、そこから少し進んで、「こういう曲げ方をすると直線のときに得られた結果は得られなくなってしまったわけだけど、このような曲げ方の現実的な解釈はどうなるかな?もしかしたらこの曲げ方は現実的には変な解釈(たとえば値段が上がるほど需要量も上がると解釈される)になるような曲がり方かもしれないぞ。もしそうならこの曲がり方をしているときには直線のときと同じ結果が得られないとしても、それは注目するには値しないかもしれないな。どのような曲げ方だと結果は変わってしまうだろうか、またその曲げ方の解釈はどうなるだろうか?」などと解釈も意識しながら色々な直線(曲線)について同じ結果が成り立つか考えるのがおすすめ。

ポイント5:2つの曲線が交わるところを「均衡」としないこともできる。

均衡というのは「実現すると思われる社会状態」「それが実現するとしたときにそこから逸脱しようと人々が思わない社会状態」みたいなニュアンスの言葉である。実際にはその時々の分析の文脈に合わせて「均衡」という概念をそのモデルに合わせて定義する。今回のような分析において「一般的に定義する(構築する)均衡の概念」にしたがうと、均衡は1つに定まり、それは2つの曲線が交わる点となる。

しかし、例えば均衡という概念の構築に際して、需給の一致という強い条件を課して構築せずに、需要量と供給量の差が10個以下であるというより弱い条件を用いて「均衡」という概念を作れば、均衡価格と均衡量のペアは2つの曲線の交わる点だけではなくなったりするだろう。

何が言いたいかというと、教科書の説明を読んだ当時の僕は、「2つの曲線が交わっている!これはいいね!」というかんじでそこに均衡という名前をつけているのかと思っていたが、そうではなく、ちゃんとその現実的な意味合いなどを吟味しながら慎重に構築した(今回の文脈では一般的な)「均衡」の概念に合致するのが曲線の交わる点ということである。*1

 

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書いてみたらやっぱり意外と難しい問題が山積みだ。笑

中学生や高校生の自分にいえることとしては「教科書の需要と均衡の説明に納得しているなら、それはちょっと単純すぎるかもね。何もちゃんと説明されていないくらいのかんじだから、理解できない方がむしろ正しいと思うよ。前回の記事に書いてあることを押さえた上で、今回の記事の内容で何点か面白いと思う点を見つけてくれたらそれで十分!」ってかんじかもしれない。

Fin.

*1:ここの表現はどうしたらいいかよく分からないが、例えば、「均衡の概念を3つ作って、それぞれ均衡概念A、均衡概念B、均衡概念Cのように名前をつけて、(一般的な定義である)均衡概念Aを用いるとその条件を満たすのは2つの曲線が交わる点だけだけど、均衡概念Bを用いると曲線が交わる点以外にもいくつかの点が選ばれるね、さらに均衡概念Cを用いると条件を満たす点は1つもないね。そうすると均衡概念Cは作り方が厳しすぎたかもね。」のような説明を当時の自分にしたら「あぁそういう話なのね」となったと思う。