やっぱり修士1年目について振り返ってみた。

昨日の記事のタイトルは、修士1年目の感想はこれに尽きる 」。

なんだけど、
昨日の夜に色々と思い返していたら、修士が終わったタイミングで2年間を一気に振り返るのだといまの感覚を忘れてしまいそうだと思ったので、この1年で学んだこと・知ったことはこのタイミングで書いておこうと思った。

1:「世界と戦う基盤ってこういうことか」

これは夏休みにミクロ系の先生のところに、「指導教員として先生を考えているので一度お話させてください」と相談に行かせてもらったときのこと。結局は違う先生に指導をお願いすることになったけど、この時に相談しにいけたのはとてもよかった。

分かる人には分かってしまうから名前を出してしまうと、松島先生に相談しに行かせてもらったのだけど、僕はオークションよりどちらかというと社会的選択理論系に興味があって(オークションを扱うにしても例えばfarinessの観点から扱おうと思っていた)、自分の興味について話していたら、「自分は社会的選択理論についてこの前少し論文は書いたけど、最近の文献を追ってちゃんと専門にしていたのは何十年か前までだから、もし興味があるならいまPhDで社会的選択理論をやっているこの人に連絡を取ってみたら?」のすぐに人を紹介してもらえた。

実は色々あってその方には連絡取らなかったのだけど、すぐにトップスクールの博士課程の人を紹介してくれるのはすごいと思った。毎年海外のトップスクールに人を送り込んでいて、すぐにロールモデルになるような人に繋がれる東大経研のすごさを感じた。

学問に限らず、世界的に影響力を持っている団体には外から見ていては分からない世界と戦う仕組みがあるんだろうと思った。

2:体が勝手に動くようになる。

これは半年くらいしてからだけど、経済学のトレーニングを集中的にやったことで、経済学の記述を見たりそれ以外にも学問的な内容のものを見ると、自分で例を作ったり定義について丁寧に整理してみるなど、基本的な操作を体が勝手にするようになった。

作法が体に染み込むってのはあるんだなと思った。他の分野で何かを身につけるときにも、この感覚を大事にしたい。

3:「何かを考え出す」

入学前の自分に言ったらびっくりすると思うけど、「何かを考え出す」ってことについて何も理解できていなかった。偶然の産物として何かを思いつくではなく、頭を使って創造的な技能として「何かを考え出す」。主に先生たちが出してくれるユニークな宿題を通じて「考え出す」っていう技能があることを知ることができた(入学前はその技能の存在を知ることすらできていなかった)。自分がやってきた「何かを考え出す」とはまるで異なるタイプのもう一歩踏み込んだ「何かを考え出す」という技能が存在することを知った。

4:手を動かしてみるのは大事

同期と一緒に勉強したときに、自分はちょっと手を動かすの面倒だなと思うタイミングで同期が手を動かして自分で考えようとしているのを見て、「あ、この姿勢は取り入れよう」と思った。5月くらいのことだったと思うけど早いうちに気づけてよかった。教科書に書いてある内容を理解するだけなら自分で手を動かす必要はそこまでないかもしれないけど(いや、理解する上でも自分で手を動かして例を作ったりするのは重要ではあるか)、「何かを考え出す」という観点からは特に自分で手を動かすのはとても大事だと思う。

5:「強烈な証明」


今までは証明ってものついて、丁寧にシンプルに示すべきものを示せばいいと思っていたけれど、メカニズムデザインの授業で「これは強烈な証明だな」と感じる証明が紹介されていて、「強烈な証明」ってものはあるんだなと思った。

別に「強烈な証明」が常に望ましいわけではないと思うし、むしろ普通に示すのがいいことも多いとは思うけど、「これは強烈だな。そしてこの証明を読むことで普通の証明では見えてこなかった世界が見えてくるな」と感じるような証明があることを知った。

6:ミクロ理論の表現力の豊かさを知った。

松島先生から紹介してもらったRubinstein先生のミクロ本を読んだときに、多彩な例を見ることで「こんなに色々な表現ができるんだ!」と感じた。例えば企業の行動のモデリングについても、普通の教科書の価格理論では利潤最大化だけ紹介するのが普通だと思うけど、売り上げ最大化や、利潤が負にならない限りにおいて売り上げ最大化などについてもそのモデリングが紹介されていたりした。

なんていうか行動経済学的的な要素も入れたミクロ理論の教科書って表現するのが正解なのかもしれないけど、個人的な感覚としてはRubinstein先生が自由に「あ、こういうのも考えてみよ〜っと」みたいに面白い例を詰め込んだように感じた。色々な表現を自分もできるようになりたいと思った。


7:"I have not seen any paper in Economics which deserves more than 15 pages (probably even 10)”

訳:経済学の論文で15ページに値するものを見たことがない(たぶん10ページすら)。

Rubinstein先生の言葉。
この言葉を受けて、「長くて包括的な論文にも素晴らしいものもあるけど、自分は短くてシンプルな論文を目指そう」と思った。もう少し正確にいうと、感動的なアイディアがあってそれを丁寧にかつシンプルに表現するような論文を目指す方向を目指すのが自分の憧れとしても適性としても良い気がしていたがいまいち踏み切れないでいた。だけど、この言葉に出会ったことで、数多くの歴史的な論文を見てきたRubinstei先生がこう言っているのだから、自分はシンプルな論文を目指す方向でいこうと思えた。

8:誰かと一緒に勉強する時間と自分で考える時間はどちらも重要。

大学院に入って皆んなで勉強会形式で勉強することが多くなってから「やっぱり皆んなで勉強すると自分ではたどり着けないところにいけていいな!」と思っていたけれど、同期がこの1年を振り返った文章を書いたときに(正確にはこのブログに公開したアンケートの同期の文章の中に)、誰かと一緒に勉強する時間と自分で考える時間のバランスが大事だと思うって書いてあって、それを読んだときは「んーそうかなぁ。俺はわりと勉強会がメインで良い気がするけどなぁ」と思ったのだけど、ここ最近は自分も「たしかにそうかも」と思うようになってきた。

一人で考えるのも皆んなで考えるのも、どちらも違うところに自分を連れて行ってくれる気がする。これに限らずこの1年は勉強のやり方や頭の休息のさせ方などについて色々なことを学んだ。

9:条件の整理

これは松井先生の「経済学のための数学」の授業を受けたとき。連続性の定義を2つ示した上で、その同値性を証明する説明の手順が取られていた。「このように定義した連続性をcontinuousと呼んで、こっちの連続性の定義をcontinuous'としましょう。いま2つの異なる連続性の定義が手に入りましたが、この2つの条件の同値性を証明します」のように進んでいって、「あ、こういうやり方があるんだ」と思った。それまでは教科書ごとにある概念について違う定義がしてあると「んー立場が違うのかな」くらいにしか思えていなかったが、こういう場合は丁寧に同値性を確認するといいんだなと知った。

それ以降、例えばある教科書で定義されている"単調性”という概念と、他の教科書で定義されている"単調性"という概念が異なるときに、「んーでも実質的には同じかもな」みたいに思ったら、その同値性をちゃんと証明することで「あ、この2つは同値だったんだ。どっちを使ってもいいわけね」と確認できるようになった。また場合によってはもう一歩進んで、「この2つの条件はそのままでは同値にはならないけど(これも例を作ってちゃんと確認するようになった)、でもこの条件を仮定すれば同値になるかも」のように考えて、異なる教科書の違う条件について上手く仮定を入れることで同値性を示すみたいなこともできるようになった。

教科書間で記述が異なるときや、自分が直感的にしっくりくる定義と教科書の定義が異なるときなどに、丁寧にその論理的関係を自分で整理できるようになった。「教科書に書かれていることをしっかり理解する」という教科書の読み方からレベルが1つ変わった。

10:天才ってのは精神が少し異質だなと思った。

これは「どうしてそんなアイディア思いつくの!?」と同業者の先生たちにも言われる松島先生にお会いして思ったこと。アーティスティックなかんじで、頭の使い方が異質なかんじだなと思った。実は同じ時期に経済学以外で「なんでそんなこと考えつくの」と思うような人についてちょっと頭の使い方が異質なかんじだなと感じていたこともあって、松島先生に限らず精神を少し異質なところに持ってくることで「なんでそんなこと思いつくわけ!」っていうパフォーマンスをするっていう領域はあるのかもなと思った。

精神を少し異質なところに持っていく。自分にできるか/やりたいかは分からないけど、そういう世界もあるのかもなと思った。

11:一流には一流の振る舞いがあるんだなと思った。

これは松井先生の(合同)ガイダンスを受けたときに思ったこと。本当に丁寧に学生に接していて、それでいて少し緊張感のようなものもあって、一流の振る舞いだなと感じた。これは言葉では言い表せない。20分くらいではあったけどガイダンスでの松井先生の振る舞いは1つのロールモデルになった。

12:経済学はアート。

松島先生の「ゲーム理論はアート」という本があるけど、「たしかにアートって呼びたくなる活動かもしれないな、経済学(ゲーム理論)って」と思うようになった。創造的行為だなと思うようになった。これに関して自分の考えは確立されていないけど「アート」という言葉に共感できるようになったのは面白い変化だった。

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書き出してみて、やっぱり東大の大学院を選んでマジでよかったと思いました。次の1年も多くのことを学びたい。

Fin.