デカルトなら博士課程に行く?就職する?

自分も含めて修士の人が悩むことの1つに、「博士に行くか就職するか」がある。僕は就職する予定で、そうしようと思う理由はいくつかあるけど、決して博士課程に魅力を感じていないわけではなくて、どちらも魅力的に感じる。

じゃあどうして就職?と問われると、色々な要因があるから全部を説明するのは難しいくて、総合的な判断としか言いようがない。ただ1つの側面として、学問に興味があるから逆に就職するってのはある。もう少し言うと、知識・知恵全般に興味があるから、学問の知識・知恵に絞らないで色々なタイプの知識•知恵、またそれ以外のものにも広く触れておきたいという気持ちがある。





これに関して影響を受けたのは、デカルト。

「デカルト入門」*1しか読んでないけど、結構な刺激を受けた。まずはデカルトの人生をコンパクトにまとめた箇所を引用してみる。

デカルトは、古代から現代にかけての思想家のなかでも、最も行動半径の広い劇的な生涯を送った人物の一人である。

一五九六年にフランスで生まれ、そこで学生生活を送ったのちに、二十歳をすぎて、祖国を離れ、自ら志願してオランダの軍事学校に入った。そこで軍人としての生活を送ったのちに、勃発したばかりの「三十年戦争」の戦場のドイツにわたり、さまざまな経験を重ねた。ついで一時フランスに戻り、それからイタリアを旅行して、そのあとパリに滞在し、今度は多くの文人、科学者、神学者と交流した。

デカルトはこのような修業と冒険と諸国遍歴の時期を過ごしたあと、三十二歳のときに、今度は一転して、オランダに隠棲し、思索と著作活動に専念した。そこで新たな学問体系を構築した。


偉大な哲学者というと、なんとなくずっと部屋の中で思考している人を思い浮かべるけど、デカルトはどうやらそうではなく、色々な経験をした上で、それらの経験も合わせて壮大な学問体系を作ったらしい。

デカルトは「成年に達して、私は書物の学問をまったく放棄したのである。そして、私自身のうちに見いだされうる学問、あるいは世界という大きな書物のうちにみいだされうる学問のほかはいかなる学問も求めまいと決心して、宮廷や軍隊を見たり、さまざまな人々と交際して、さまざまな経験をした。そうして自分の前に現れる物事について反省をし、それから何らかの利益を得ようとしたのである」と言っている。

「デカルト入門」においてこの言葉が紹介されている箇所の見出しは、「『書物の世界』から『世界という大きな書物』へ」となっており印象的である。





修士課程に入って、学問の世界を知れば知るほど深みがあって面白いと感じる。しかし一方で、学問に絞ってしまっては想像することすら難しい知らない世界がいっぱいあるとも思う。

学問"だけ"に興味があるならば博士課程に行くのが良いだろう。でも、知識・知恵一般に興味があったり、学問とそれ以外のものの関係まで含めて考えてみたいならば、世界という大きな書物から学ぼうとするのは、1つの戦略ではないだろうか。

就職することで、学問の世界にいたままでは存在を知ることすら難しかったタイプの知恵にも出会えるかもしれない。とても楽しみ。

Fin.

*1:ちくま新書「デカルト入門」。何箇所か引用したが、適宜中略などは行った。