なぜ「知恵の種類」が気になるのか?

このブログにも「知恵の種類」を記事を気にした記事が多いと思うのだけど、なんで自分はその観点が気になるんだろう。この記事ではそれについてまとめてみたい。

「知恵の種類」が気になるとは?

そもそも「知恵の種類」が気になるってっていうのがどういうイメージだろうか。

例えば、この前の記事(需要曲線と供給曲線ごめんなさい)で需要曲線と供給関数を扱ったが、この記事を書いたあとに中学生が実際に受けている説明がどんなかんじか気になり、トライが公開している授業動画を見てみた。すると、もちろん需要曲線や供給曲線についても紹介しているのだが、以下のような写真も紹介していた。

板書のうち、左側の写真は、同じお寿司の値段が時間によって変わっている(値引きされている)ことを示すもの、右側はホテルの値段の推移を表すものになっている。



これを見たときに「あ、これは面白いな!」と思った。需給の曲線、寿司の値引きシール、ホテルの一ヶ月の推移、この3つはどれも値段の決定などについて学ぶための教材なわけだけど、どれも随分様子が違う。

需給の曲線はとても抽象的な理論であり、現実味はないけど現実を見る目を養ってくれる。対して寿司の値引きシールはすごく日常的であり具体的なイメージを想起させる。ホテルのは日常の一場面というよりは日常的に起きていることを俯瞰して見るのに役立つ(ホテルだと実際に予約サイトなどで推移を見る場面があるから適切ではないかもしれないけど、例えばトマトの値段の推移を並べたものがあったら単に日常を切り出してきたのとは違う印象になるはず)。同じ授業で扱われているものだけど、随分様子が異なる知恵であると感じた。

こんなかんじで僕は普段から「知恵の種類」の観点が気になっている。他にも例えば「プレゼンのコツ」みたいなものがあったときに、「そのコツは他の人が使うようになっても機能するタイプのコツだろうか?」、「そのコツの存在が広く知られるようになっても(つまりそのようなコツを使っていることが認知されるとしても)機能するだろうか?」などが気になったりする。

きっかけ

では、なぜ「知恵の種類」が気になるようになったのか?一番大きいのは、大学2年くらいのときに、あるとても博識な方と何回かお話させて頂いたことだと思う。その方は組織開発などの日本における第一人者で(もう引退されているみたいだけど)、東洋哲学を初め色々なタイプの知恵について見識を持っていらっしゃった。何回かご自宅の書斎に伺ったのだが、その都度当時の僕が知らないタイプの知恵についての本を紹介してくれた。

また、本だけではなく瞑想などについても教えてくださり(僕はなかなかじっと座ってられないからあんまり続かなかったのだけど、いまでもたまにその時教わった方法で瞑想することもある)、やってみるとたしかに心が落ち着いてきて、「これも1つの知恵と呼びたくなるものだな」と思った。

そういえばこれは余談だけど、経済学者のアマルティア・センについて「経済学者であなたの興味に合いそうな人といえばこの人ですかね」とセンについての本も紹介してもらった。結局その本は読まなかったのだけど、紆余曲折あって僕はいま大学院でセンがやっていた分野である社会的選択理論を専攻していたりする。経済学も含めて色々なタイプの知恵を紹介してもらい、「世の中には色々なタイプの知恵があるんだな〜」と思った。

そして当時の僕は、

「自分が知らないタイプの知恵がいっぱいあることが分かった。とすると、現在の自分が知っている範囲、イメージできる範囲の知恵だけを突き詰めようとするのは結構リスクがあるのではないか。60歳とかになったときに、『うわぁ、世の中にはこういうタイプの知恵もあったのか。本当はこういうタイプの知恵を探究したかったな』となってしまっては困るな」

と思った。

このようなきっかけで知恵のタイプについて意識するようになっていった。あとは学部がSFCだったことで、色々な学問領域や実務と学問の間みたいな領域に触れることができたのも「知恵の種類」を気にするようになる後押しになったのかもしれない。

気にしないと大枠を外しかねない

きっかけは上の通りだけど、ではなんで現在「知恵の種類」を気にするかというと理由は3つある。その中でも一番重要だと思うのは「知恵の種類を気にしていないと大枠を外してしまう可能性が高い」と思うからだ。

このタイプの悲劇には色々なものがあると思うが、例えば専門家に分析を依頼したら、すごく完成度が高い分析が出てきたけど、「なんかそういうことじゃないんだよな、、、」となるパターンが典型だと思う。

例えば経済学において、「その制度を利用している人たちが嘘をつくインセンティブを持たない(利用者に対して自身がもっている情報を正直に申告するインセンティブを持たせることができる)」という性質を重視することがある(耐戦略性の観点)。僕は一時期メカニズムデザインと呼ばれる制度設計の分野を勉強していたが、その時期に経済学とは関係のない文脈で「クローズドなコミュニティーにおける仕組みづくり」についてディスカッションする機会があった(「経済学的な観点から何か面白いこといえない?」みたいに言われたんだったと思う)。

普通に経済学で考えようとすると耐戦略性を気にする文脈だったので、初めは耐戦略性の観点を重視して考えていた。しかし話をよく聞いてみると、「別にこれは仲間うちで使うものだから、誰かが嘘をつくインセンティブを持っているかとかはあまり気にしていないかも。誰かが嘘をつくことで上手くいかなかったらそれはそれでいいや」と考えていることが分かった。

もちろん国の制度などを設計するときには、虚偽の申告をする人を発生させないかの観点は大事になると思うが、このときは(気にしてもおかしくもない文脈ではあったが)あまり気にしなくて良さそうだった。そうなると考えるときの視点が変わってくるわけで、耐戦略性の観点から丁寧に考えてコメントしていても「たしかに面白い概念だし、色々考えてくれてありがとう。でもあまり役に立たないかも、、、」となってしまっていた可能性が高い。

他にも少し毛色が異なるエピソードを2つ紹介する。

東京タワー事件

大学3年生くらいのときに、「(コンサル的な)問題解決の手法」についてセミナーのようなものを受ける機会があった。そのときにウォーミングアップとして「あなたは東京タワーのマーケティング担当者です。(競合である)スカイツリーが出てきたせいでここ数年は売り上げが落ちてしまっています。どうやったら東京タワーの売り上げを回復させられるでしょう?」のような質問をされて、3分間で考えることになった。

答えを出すことは求められておらず、「ではこのような問題について考えていく方法を学んでいきましょう」と続くための導入だったわけだけど、僕はその質問に対して、「スカイツリーを競合関係と考えないのはどうだろうか?例えば、スカイツリーを巻き込んで、東京タワーからスカイツリーまでを東京のそれまでの歴史を感じながら巡るようなツアーとかもあり得るんじゃないか」というアイディアを出した。

アイディアの是非はおいといて(単なる思いつきだしね)、このアイディアを言ったときに、講師の人は反応に困っていた。「そういうことではなくてですね、、、」みたいなかんじ。

で、そのあとに全部その講義を受けてみて分かったのだけど、そこで扱っていた問題解決の手法は「決められた枠の中で数%〜10%くらいの改善を的確にするための手法」だったんだよね。でも僕は最初の質問を聞いたときに「大きく構造をぶっこわそう」と思っていた。どちらが正しいとかではなく、規模が大きい場合には数%の改善を的確にやるのが重要な場面もあるだろうし、大きく構造を変えるのが重要な場面もあるはずだ。タイプが違う知恵だったわけだ。

この件から、「数%の改善が求められているときに新しく構造を変換するような知恵はフィットしないし、大きな変換が求められているときに枠を特定してその中で改善するような知恵はフィットしないわけね。」と思った。そして講師の方の説明の仕方などから、「人は何かの手法について説明するときに、それがどのような場面で役立つ知恵なのかなど知恵の種類についてちゃんと言及しないのが普通なのかもな」とも学んだ。

ホストの本

ある時に、成功したホストの本を何冊か同時に読んだことがある。カリスマホストであるローランドさんが注目されていた時期だったと思う。アウトサイダー的なホストの本、ホストのコツのようなものを駆使しているホストの本、そしてローランドさんの本。

それぞれが独自の方法で活躍している人たちなので、どの本も「私はこうしてホストで成功しました」みたいな本として読めるものだった。でも読んでみて気づいたのは、その人ごとにコツのタイプがずいぶん異なり「これは応用するときには注意しないと逆効果になることもありそうだな」と思った。

例えばコツの1つに「他のホストよりも早めに出勤することで、ーーーというメリットがある」みたいなものがあった。このコツはたしかに自分がホストをやっていて他のホストに売上で勝ちたいのであれば有用だろう。だけど、自分がホストクラブを経営しているのであれば、全員が「他のホストと差別化するコツ」を使っても意味がなかったりするだろう。つまり、他のホストが本来だったら取るパイを自分が奪ってしまうようなタイプの知恵は、自分がホストであるなら役立つだろうが、自分がホストクラブの経営者であったら役立つとは限らない。

他にも「自分は接客において酒を飲まないでソフトドリンクだけ飲むように切り替えた」のようなコツもあったが、これも同様で、自分1人だけだったら上手くいくかもしれないが、店のホスト全員が酒を飲まないようになって上手くいくかは別問題だろう。





最後のホストの例でいえば、「自分はホストクラブの経営者でホストの教育をしたいのだけど、その教育役として、他のホストとの差別化(酒を飲まないなど)で成功したホストに依頼をしたが結果が出ない。本当にやるべきか話の聞き方のコツなど、全員でやったら店全体の売り上げが上がるタイプのコツをもったホストに教育役を依頼することだった」のようになってしまうなど、「知恵の種類」を意識していないと、「そもそもの大枠で間違うリスク」があると思う。

これは非常に悲惨だけど意外とやりがちだと思うので、これが起きないように「知恵の種類」を意識するようにしている。

気にするとユニークさを出しやすい


先ほどのは「そういうことじゃないんだよなぁ」と防ぐ話だったが、「知恵の種類」を意識することで「そういうのもありか!」を作りやすくなる側面もあると思う。

例えば10チームが少子高齢化の全体像について分析することになったとする(日本の少子高齢化がどのくらい深刻であるかを調べる)。そのときに他のチームがデータをフルに使った分析をしている横で、自分たちのチームは、全体像を的確に捉えるという意味ではデータも使うが、少子高齢化の全体像を"感じる"のも重要だと考えて、写真などの定性的な情報も上手く入れ込んだ(or データ分析と写真や動画などを上手くブレンドした)アウトプットにするなどである。

「知恵の種類」を意識することで、「知恵の種類」の観点から工夫することが可能になる。そしてそれはメタな領域の工夫なので、文脈を読む力などは要求されるとは思うが、上手く工夫できればそもそもの形式からしてユニークなものを作り出せる可能性があると思う。

これについては僕はまだ全然できていないけれど、「そういうことじゃないんだよなぁ」と防ぐ以外にも、基本的には各場面において多くあるはずの「あぁこういうのは役立つね」の中でもユニークなものを探しあてるのにも役立つと思っている。

まだ見ぬ世界もありそう

上の2つが割と具体的なメリット。最後は予感でしかないのだけど、「知恵の種類」を意識することを続けていくと、思いがけない「すごいこと」が起きそうな予感がある。

例えばこの記事(経済学と夕暮れ )で書いたけど、「経済学をやっているときの頭の働き」と「夕日を見て『綺麗だな〜』と思うときに心地の良い気持ち」を合わせることができないかなとか?とか考えている。色々なタイプの知恵を統合的に繋ぎ合わせられたりしたら面白そうだなと思っている。

これについては運だけど、そういう予感的な面白さも感じている。

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以上のような理由から僕は「知恵の種類」が気になっています。というかこの記事を書いていてそういう風に整理できそうだなと分かりました。笑

これからも「知恵の種類」を意識するってのは続けていきたいしそのためのフレームワークもいつか作れたらと思う。

Fin.