大学院の少人数授業「租税競争の理論」で先生から学んだこと。

 

春学期前半の授業が終わったときに、「社会的選択理論」の授業で学んだことをまとめたが(こちらの記事)、春学期後半の「租税競争の理論」の授業も大学院の少人数の授業(履修者3人)でタームペーパーの提出とかは残っているけど授業としてはひと段落したので、この授業についても学んだことを書いておこうと思う。

やっぱり大学院の少人数の授業の様子ってあんまり発信されていない気がするので、「こういうことを学べるんだなぁ」と紹介できたらと思っています。授業内容というより(授業内容については例えばこの記事に少しまとめました)、先生のコメントとかから「こうやって理論研究やっているんだ」みたいに理論研究をするなどについて学んだことを書いてみようと思います。

なお、タームパーパーに対する先生からのコメントなどで新たに学んだことが出てきた場合には、追記していこうと思います。

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1:「無理に経済学を理解しようとしていないんだなぁ」と感じた。

これは本当に重要な学びでこれだけで授業を受けた価値があった。

先生の専門分野なのに(しかも「財政」みたいに広い意味での専門分野ではなくより絞った専門分野なのに)、「このあたりのモデルはよく分からないんですよねー」と言った上で、「分からないから飛ばすしかないですね」みたいにしていたりして(実際にそういう発言だったかは覚えていないけど)、

こういう専門的な科目においては「この分野は私の専門なので体系的に理解していますしなんでも対応できます」みたいに授業するのかなと思っていたら全然そんなかんじのスタンスではなくて驚いた。

他にも「実証研究はまるでやったことがなかったのですが、この前ノリで初学者向けの本を読んで実証研究やってみたんですよー」とかおっしゃっていて、なんていうか、「この先生は無理に経済学を理解しようとしていないんだなぁ」という印象を受けた。

これは自分にとってはすごく大事なロールモデルとなる気がして、というのも経済学の扱っている領域の広さや1つ1つの領域において獲得すべき理解の深さとかが分かってくると「とてもじゃないけど全部は学べないし、もっといえば経済学以外のことも勉強したいことを考えると全部をちゃんと勉強するのは無理だよなぁ。本当に一部しか勉強できないなぁ」と感じて、「経済学っていう莫大な学問体系にどう向き合ったらいいものか」とここ最近思っていた。

それに対して、「こういう風に肩の力を抜いて経済学に向き合うのはいいなぁ」という自分が「いいかんじだなぁ」と思える1つの姿を間近で感じられたのは大きい(これは文章では伝えるのが難しいなぁ。単純に肩の力が抜けているって話ではないんだよなぁ。"こういう風なかんじに”肩の力を抜けばいいんだと思ったって話。)。

2:研究アイディアを出すときの出力。

これも実際に受けていないと分からないポイントかもだけど、学生が発表した研究アイディアに対してコメントする場面において、先生から迫力を感じた。

普通だったら「その着眼点はこのへんが面白そうですね」くらいのコメントになりそうなところを「こうやってこうしたらこんな研究になるかもしれないですね」みたいに、15秒くらいのコメント時間だったけどグッとアイディアをレベルアップさせているように感じて、基本的には丁寧に穏やかに進めていた授業の中で、先生の譲らないポイントのようなものを感じた。

「授業全体を通して全体的には肩の力が抜けているけど、ここの出力(研究アイディアの出力)については譲らないわけね」と、先ほどの気づきと合わせて1人の理論研究者の姿に触られたのはよかった(もちろん授業受けただけでは大きく誤解しているかもしれないけど)。最初の気づきの"こういう風に”の部分の1つの重要な要素がこの気づきってかんじかもしれない。

3:古典研究を覆す。

これはよりテクニカルな話だけど、先生が自身の論文を紹介してくださったときに、「この論文はーーーーという有名な論文の内容を現代的なセッティングで覆したので評判がよかったんです」とおっしゃっていた。

僕の理解だと、

その分野で誰でも知っている古典論文を探す。そして、その論文について(例えば現代的な観点だとセッティングはこうなっていた方が現実的だよなみたいな理由から)変えるのが妥当なセッティングを考えて、結論が変わるかをチェックしてみる。もし結論が変わる場合にはインパクトある論文になる。

という話だった。「一時期、こういうやり方で論文を書こうとしていました〜」というかんじに「インパクトある論文の書き方」のようなものは聞いたことがなかったので面白かった。

4:モデルの特徴をリストアップする。

これまで授業はどれも重要なモデルだけを取り上げていく形式が多かったので(これは扱う範囲が広い場合にはしょうがない側面はあるとは思う)、1つのモデルをいかにちゃんと理解するかだけに重点をおいて勉強していた気がする。イメージとしては「深く理解する(縦の理解)」だけを重視していたかんじ。

だけど今回の授業スライドはどうなっていたかというと、1つの重要なモデルがあったときに、その特徴を例えば1)同質な地域を扱っている、2)意思決定の構造は同時手番である、3)ーーーは外生的に決まっている、、、のように書き出して並べた上で、この特徴を変えた研究としてはこれとこれがあって、この特徴を変えた研究としてはこれとこれがあって、、、、という形式で後続の研究を説明していた。

あるモデルを見たときにその特徴をリストアップするようなことの意義がこれまではまるで分かっていなかったけれど、「先生は自身の専門分野についてこうやって横の理解をしているんだ」という風に、レベルの高い「横の理解」に触れることができて、「理解の仕方」に幅ができたように感じる。

5:問いってこんなにシンプルで納得的なんだ。

理論研究におけるリサーチクエッションを聞く機会って少なかったように思う(これは僕がワークショップとかに参加していないからかもしれない。あと僕が好きなタイプの研究が「理論構築」ってかんじで「分析」ってかんじじゃないことも影響しているかもしれない)。

授業で取り上げられるような重要なモデルについて「この研究はーーーーを明らかにしようとしたんですね」「こっちの研究はそれに対してーーーーを明らかにしようとしたんですね」みたいに多くの良質な理論研究のリサーチクエッションに触れることができて、「理論研究(その中でも特に世の中の現象を分析しようとするようなタイプ)のリサーチクエッションってこんなかんじなんだなぁ」という感覚が掴めた。

この感覚が掴めたことで、タームパーパーのアイディアを出すときにも「これ自体は面白い話かもしれないけど(例えばモデルをこう変えたら面白そう、こういうモデルを作ったら面白そうみたいな単発で出てきたアイディアは面白いけど)、授業で掴んだ感覚からするとリサーチクエッションはまだ全然できていないな」という風に「リサーチクエッションは立っているか?」という視点が得られるようになった。

実証研究とかだと「クエッション定まってないと何もできなくね」となりそうだけど、理論研究だとモデルをこうやっていじったら面白い均衡でてきそうくらいのノリで内容を先に作ることも可能な気がするので、実証やっているとき以上に「クエッションは何か」というのは意識しないとかもなと思った。

これは修論に取り組む前に知れてよかった。





以上が、「租税競争の理論」で先生から学んだことです。

とにかくこの授業は先生が自身の論文を紹介しださったときに「その論文のアイディアはどうやって思いついたのですか?分析する前の時点で結論がそうなるとは思っていましたか?」というような質問をさせてもらえるなど、「ちょっとこういう授業は学部のときには受けられなかったよなぁ」という授業になっていて、すごく貴重な経験になりました。マジで取ってよかったです。

Fin.