ゲーム理論について学部時代に見えていなかったこと(1)

*この記事は中級レベルのゲーム理論の知識を前提としています。

規範的な分野を最近やっていることで(あとはゲーム理論の応用分野である租税競争の授業を履修したことで)、ゲーム理論の規範的評価の部分について解像度が上がってきた。

例えば標準形ゲームの定義G=\langle N,A,u\rangleがあるとして、これって「意思決定の記述として必要なもの」を組みにしただけで、必ずしも「規範的評価含めて分析者に必要なもの」を組みにしたものではないんだよね。

例えば、人々のアクションに付随して動物に対する害が起きる状況を考えたときに、意思決定する人たち(ゲームのプレーヤー)はそれらの害に無頓着であるが、モデルの分析者はそこに興味があるとすると、G=\langle N,A,u\rangleだと規範的な評価まではできない。

これは言われると当たり前なんだけど、(少なくとも標準形ゲームや展開形ゲームが紹介される程度のレベルの)ゲーム理論の文脈では規範的な評価はプレーヤーたちの効用関数の情報のみ行われる(基本的にはPareto Optimalityじゃないかな?)ことが多いので、ゲーム理論の本だけ読んだりしているとこの辺は見えづらいかもしれない。

規範的評価(何が社会的に望ましいかの評価)に際して「人々の効用の情報のみを用いよう」という立場(厚生主義)に立っているから、「意思決定の記述として必要なもの」さえ手に入れればそれで「規範的評価含めて分析者に必要なもの」も手に入ったことになっているわけで、これはある意味特殊な状況といえば特殊な状況。


Fin.