Pazner and Schmeidler(1974)の紹介。

Pazner and Schmeidler(1974)は、無羨望という公平性の概念とパレート効率性という効率性の概念の関係を取りあげた、たった2ページの論文です*1。(純粋交換経済においてはこの2つの概念を満たす配分は常に存在するのですが、)この論文は労働を入れ込んだ経済においてはこの2つの概念が必ずしも両立しないことを示しました。

元論文では2つの例が挙げられていますが、この記事ではそのうち1つを紹介します。また、元論文の表記とは異なる表記を用いているので元論文にあたる際は注意してください(僕は学部生のときに元論文を読もうと意気込んだのですが表記を読み解くことができず挫折したので今回は当時の自分に説明するつもりで書いています)。

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No-Envy(無羨望)について

例えば一般的なミクロ経済学の授業を思い出すと、配分についてのパレート効率性という「効率性」に関する概念は習いますが、公平性に関する概念は基本的には習いません。しかし公平性も大事なはずです。

公平性に関する概念を考えるにあたり、その定式化の候補として「その配分における人々の効用関数の値が等しい:u_1(x_1)=u_2(x_2)」などが頭をよぎるかもしれませんが、異なる個人の効用水準を比較するのは、標準的なミクロ経済学の枠組みにはfitしません(社会的選択理論においては常にそうとは限らないですが)。なぜなら標準的なミクロ経済学において効用関数はあくまで選好を表現するものであり、他の人とその値を比較することに分析上の意味はないからです。

公平性に関する概念を考えたいわけですが、効用関数の個人間比較は避けたい。そこで出てくるのが「No-Envy(無羨望)」という公平性の概念です。

ラフに定義すると、

個人の集合をNとしたときに、実現可能な配分*2(x_1,...,x_n)が無羨望であるとは、「\forall i,j\in N,\ x_i\succeq_i x_j」が成り立つことです。「\exists i,j\in N,\ x_j\succ_i x_i」が成り立たないこととしても同値です。後者のほうが無羨望(羨望が発生していない)という言葉をダイレクトに表しますが、数学的には前者のほうが扱いやすそうです。

意味としては、ある個人iさんにとって自身に割り当てられた財ベクトルよりも自分ではないjさんに割り当てられた財ベクトルの方が望ましいときiさんはjを羨望しているといい、そのような「羨望」が発生していない配分を無羨望な配分と呼んでいます。

各個人の選好が効用表現u_iを持つとき、No-Envyの条件は、

\forall i,j\in N,\ u_i(x_i)≥ u_i(x_j)

と書けます。ここでのポイントはあくまで比べているのは同じ効用関数であるu_iu_iの大小であり、異なる個人の効用関数の値は比べていません。この公平性の概念ならば、標準的なミクロ経済学の枠組みにfitしますし意味合いも分かりやすいです。

いいかんじの公平性の概念が発明されたわけです。

純粋交換経済だとパレート効率性と両立する

そしてこの無羨望という公平性の概念は、純粋交換経済においてはパレート効率性という効率性の概念と両立します。つまり、(あまりに変な経済を除いて)どんな経済においても無羨望かつパレート効率的な配分が存在します。そしてこのことは以下のように上手いテクニックで示せます。

任意の純粋交換経済e=(N,u,\omega)について考えます(uは効用関数のプロファイル、\omegaは初期保有のプロファイル)。この任意に取ってきたeにおいて無羨望かつパレート効率的な配分が存在することを示すのが目標です。

まずは、初期保有を全員に等分された初期保有に変換します。つまり、eにおける全員の初期保有を一度全部足し合わせて、それを人数で等分して配り直すことで新しい経済e'=(N,u,\omega')を考えます。e'eの違いは初期保有プロファイルだけであることに注意してください。また、e'で実現可能な配分はeにおいても実現可能です。

次に、e'における競争均衡配分を考えます。その配分はe'において実現可能であるためeにおいても実現可能であり、また競争均衡配分なのでパレート効率的になっています(正確に言えばe'においてパレート効率的なのでeにおいてもパレート効率的になります)。またこの配分は無羨望にもなっています(正確に言えばe'において無羨望なのでeにおいても無羨望になります)。なぜe'において無羨望になるかというと、仮に誰かが他の人を羨望する場合はその人は自分が選んだものよりも他の人が選んだものを厳密に望んでいるわけですが、e'においては全員の初期保有が同じであるので他の人が選べたものは自分も選べたはずであり、競争均衡配分であることからこれはあり得ないわけです(競争均衡においては人々は自分が選べる財の中でベストなものを選ぶから)。

ということで、e'を経由してそこでの競争均衡配分を考えることで、最初に任意に固定したeにおいてパレート効率的かつ無羨望な配分が存在することが分かりました。なお、先ほど「あまりに変な経済でなければ」と曖昧にしましたが、証明を見ると「競争均衡が存在する」「厚生経済学の第一基本定理が成り立つ」と言えれば良いので、それらが成り立つ経済においては必ずパレート効率的かつ無羨望な配分が存在するといえます。

パレート効率性と両立しないようだと、無羨望という概念はそのままでは使いづらくなってしまうところだったので、純粋交換経済においては一安心です。

労働を入れた経済だと必ずしも両立しない

Pazner and Schmeidler(1974)は、純粋交換経済ではなく労働が入り込む経済ではパレート効率性と無羨望が両立しないことがあることを示しました。2つの概念が常に両立しないと言っているのではなく「至って普通に見える経済の中に少なくとも1つパレート効率性と無羨望が両立しない経済」が存在することを示したわけです。これはネガティブな結果です。

ここでは純粋交換経済ではなく、経済は(N,(a_1,...,a_n),(u_1,...,u_n))で定義されます。N=\{1,...n\}は個人の集合、a_i\in \mathbb{R}_{+}iさんの生産性、u_iiさんの[0,1]\times \mathbb{R}_{+}上の選好を表します。u_iの第一成分はiさんの労働時間l_iを表し、第二成分はiさんの消費量c_iを表します。

以下、細かい定義もしておきます。

X=[0,1]\times \mathbb{R}_{+}とおくと、経済(N,(a_1,...,a_n),(u_1,...,u_n))における配分とはz=(z_1,...,z_n)=( (l_1,c_1),...,(l_n,c_n) )\in X^nのことです。また、配分zeにおいて実現可能であるとは、a_1l_1+\cdots+a_nl_n≤c_1+\cdots+c_nが成り立つことです。経済eにおいて実現可能な配分の集合をF(e)で表します。

配分z\in F(e)がパレート効率的であるとは、どのようなz'\in F(e)にもzがパレート改善されないことです(パレート改善の定義は面倒なので省略)。

配分z\in F(e)が無羨望であるとは、任意のi,j\in Nについてu_i(l_i,c_i)≥u_i(l_j,c_j)が成り立つことです。

証明の中で混乱しないための注意点として無羨望を考える際にはjさんの財ベクトルをiさんの効用関数で評価するということが起きることに注意してください(普段は基本的にjさんの財ベクトルはjさんの効用関数にしか入れないと思うので混乱しがちなポイントだと思います)。

ここまでで準備が整いました。

Pazner and Schmeidler(1974)が挙げているのは次のような経済です。

e=(\{1,2\},(1,\frac{1}{10}),(u_1,u_2))

ただしu_1u_2は以下のように特定される。

u_1(l_1,c_1)=\frac{11}{10}c_1-l_1
u_2(l_2,c_2)=2c_2-l_2

この経済においては1さんの方が生産性が高く、また1さんのほうが労働が嫌いになっています(1さんは労働を相殺するのに\frac{10}{11}だけ消費が必要だが2さんは\frac{1}{2}で相殺される)。細かいロジックは証明に譲りますがイメージとしては、このような経済においてはパレート効率性を考えると、1さんにはいっぱい働いてもらうことになるが2さんはそこまで働いてもらわなくもよくて、そうすると1さんとしてはあまり働かなくていい2さんが羨ましいというかんじかと思います。*3

上の経済においてパレート効率的かつ無羨望な配分が存在しないことをこれから証明します。いま考えている経済は特に変ではない経済なので(ここではどの意味で"変ではない”と言っているかはそこまで明確ではないですが、「まぁこの経済で両立しないようだと困ってしまうよね」というかんじかと思います)、この経済において両方を満たす配分が存在しないとなると労働が入ってきたモデルでは(基本的には課しておきたいパレート効率性と両立しないという意味で)「無羨望」という公平性の概念はちょっと使い勝手が悪いかなとなってしまい、重大な問題提起につながります。

証明

考える経済を再掲しておきます。

e=(\{1,2\},(1,\frac{1}{10}),(u_1,u_2))

u_1(l_1,c_1)=\frac{11}{10}c_1-l_1
u_2(l_2,c_2)=2c_2-l_2

示したいのはこの経済においてパレート効率性と無羨望の両方を満たす配分は存在しないことです。背理法で示すために仮にz=( (l_1,c_1)(l_2,c_2) )\in F(e)という配分が両方を満たすとします。

このときl_1+\frac{1}{10}l_2=c_1+c_2が成り立ちます(パレート効率性より)。また、l_1=1も成り立ちます(仮にl_11より小さいとすると1さんの労働を1まで上げるとa_1=1から1さんの消費も同じ分だけ増やすことができ、u_1を見るとこのとき1さんの効用は厳密に上がることになりパレート効率性に矛盾します。1さんの生産性と効用関数を見るだけでこの部分は言えるわけです)。

あとはl_2に関する場合分けで持っていきます。

(case 1) l_2=0

このケースにおいてはc_1+c_2=1が成り立ちます(1さんがフルで働くのみなので)。ここで1さんのNo-Envyの条件からc_1≥\frac{10}{11}が得られます(2さんのc_2については分かりませんがl_2=0であることからu_1(l_2,c_2)≥0にはなるわけです。すると1さんは自身の(1,c_1)を評価したu_1(1,c_1)=\frac{11}{10}c_1-1について0以上になっている必要が少なくともあり、c_1≥\frac{10}{11}を得ます)。1さんはフルで働き、2さんはまるで働かないわけですから、1さんとしては消費財の総量1のうちかなり多くをもらう必要があるわけです。

次に2さんのNo-Envyの条件はu_2(l_2,c_2)=2c_2≥2c_1-1=u_2(l_1,c_1)であるため、2c_2≥2(1-c_2)-1からc_2≥\frac{1}{4}となります。2さんはいくら働かないとはいえ、ある程度の消費を貰わずに全部1さんが消費してしまうのでは、それなら1さんの方がいいとなってしまうのである程度は消費する必要があるわけです。

しかし、c_1≥\frac{10}{11}c_2≥\frac{1}{4}c_1+c_2=1と両立しないためこのケースでは矛盾が導かれました。

(case 2) l_2\gt 0

このケースでは2さんも働いているわけですが、実はこのケースにおいてはc_2=0が得られます(仮にc_2\gt 0であるとする。l_2c_2も正になっていることに注意すると、c_2から微小に\Delta c_2だけ2さんの消費を減らして、2さんについてその減少分をピッタリ補うだけ労働も減らす、つまり2\Delta c_2だけ2さんの労働を減らすことができます。次に1さんについては\Delta c_2-\frac{1}{5}\Delta c_2だけ消費を増やします*4。そして労働についてはいじりません。すると2さんの効用は変わらずに1さんは厳密に得することになります。これはzがパレート効率的であることに矛盾)。

2さんの消費0はだいぶ厳しそうです。このケースでは1+\frac{1}{10}l_2=c_1となるため、2さんのNo-Envyの条件は、0-l_2≥2(1+\frac{1}{10}l_2)-1となりますが、これは-1≥\frac{1}{5}l_2+l_2となってしまい矛盾が導かれます。

以上より経済eにおいてはパレート効率的かつ無羨望な配分は存在しないことが分かりました。

直感について

最後に、蓼沼先生の「幸せのための経済学」に書いてあった直感を紹介します。労働が入っているモデルにおいては純粋交換経済の時のように「全部を最初に等分して、、、」のような技は使えない(人々の生産性を等分することはできない)のでこのような経済においては両立できるとは限らないと説明されていました。

まとめ

無羨望という公平性の概念は、標準的なミクロ経済学の枠組みにfitしますし、意味合いも捉えやすくて魅力的です。また、(ゆるい条件のもとで)どんな純粋交換経済においてもパレート効率的かつ無羨望の配分は存在します。これは無羨望という概念の使い勝手を考える上でとても嬉しいです。しかし、労働が入った経済を考えると普通の経済の中にパレート効率性と無羨望を満たす配分が存在しないような経済が存在してしまうことが分かりました。これがPazner and Schmeidler(1974)が見つけた重大な問題です。

Fin.*5

*1:参考文献入れると3ページ。

*2:実現可能な配分に絞って定義したことに深い意味はなく、パレート効率性が実現可能な配分に絞って定義されるのでそれに合わせました。

*3:ただしこのイメージが正しいかはあまりちゃんと確認していないです。

*4:2さんが手放した\Delta c_2だけ1さんの消費を増やしてしまうとFeasibleにならないため調整をかけているわけです。2さんの労働が減ったことで生産される財がどのくらい減ったかを考えると\frac{1}{5}\Delta c_2の調整で大丈夫なことが分かります。他の案として1さんについて\Delta c_2だけ消費を増やして労働を\frac{1}{5}\Delta c_2増やす作戦もありそうですが1さんの労働はすでに最大である1になっているのでこのように増やす配分を持ってこれないのでこれは上手くいきません。

*5:参考文献:Pazner, E. A., & Schmeidler, D. (1974). A difficulty in the concept of fairness. The Review of Economic Studies, 41(3), 441-443.