「ルワンダ中央銀行総裁日記」を読んですごく良かった。



前に数十ページだけ読んでそのままにしていた「ルワンダ中央銀行総裁日記」を気合を入れて読んでみた。新書ではあるが濃度が半端なくて読むのは大変であったが、3日間に分けて読破した。この記事では本書の魅力、思ったこと・考えたことなどをまとめてみる。

 

本書の魅力

 

著者の服部さんは1965年から6年間、アフリカの中でも最貧国であったルワンダ(当時は人口300万人)の中央銀行総裁を務めた方だ。長年日本銀行に勤めていた著者が、国際通貨基金の総会でルワンダの中央銀行総裁の仕事について打診されるところから本書は始まる。

ルワンダがベルギーから独立したのが1962年で、服部さんは実質的には最初の中央銀行総裁として活躍された。ただし中央銀行の立ち上げ自体は先にやられていたし、また病気になってしまいあまり仕事をすることはできなかったが初代の中央銀行総裁は別にいたにはいた。服部さんは2代目総裁。とはいえ、着任した時には服部さんの住む場所すらちゃんと用意されていないような状況でかなり初歩からのスタートであった。

一国の中央銀行をどうやってまともに機能するものにしていくかというだけでも面白そうなのに、当時のルワンダの為替制度は2本立てになっており(固定レートと自由レートの両方がある不思議な制度。ただし固定レートを活用できるのは特定の取引についてのみ)、それを一本化する抜本的な通貨改革を担当するなど、通常の中央銀行総裁ではなかなか経験できないであろうイベントを追体験することができる。

加えて、大統領から直接に中央銀行の業務範囲に限らない経済全体の立て直し計画の作成を極秘に依頼されるなど、「一国の中央銀行総裁の経験を追体験できる」というより、もはや「一国の経済全体について担当するとはどういうことかを追体験できる」ような本になっており、これが本書の最大の魅力だ。

また、服部さんは性格も非常にかっこよくて、それも魅力を引き立てる。例えばルワンダに行く前の時点で情報を集めている場面では次のような記述がある。

 

(p4)

そのうちに通貨基金その他にいる友人から、いろいろと断片的な情報がきた。いずれもひどく貧乏な国で、生活環境が悪いというものである。しかし外国人にとって生活環境がよい途上国は、外国人が特権階級として滞在している場合か、国が豊かでとくに外国人がいなくてもやってゆける場合かであって、生活条件の悪い国こそ、外国人技術援助の意味もあると思っていたし、また、現に人間が住んでいるところなら、自分が生きてゆけないわけはないと思っていたので、知人が心配してくれたわりには、私自身としては、生活環境が悪いという情報は気にならなかった。

 

この著者が中央銀行総裁を務めた日記なのだから面白くないわけがない。

 

思ったこと・考えたこと

 

1:こんなに重大かつエキサイティングな仕事をした人がいたんだ。自分もいつか大きな仕事に挑戦してみたい。

 

他の本を読んだりテレビ番組を見たときなどにも、「うわ、こんな仕事をした人がいたんだ。すごいな」とかんじることはあったけど、今回の本には「(中央銀行とかに限らず)自分もいつかこういう大きな仕事に挑戦してみたい」と思わせる何かがあった。自然とそう思わせてくれる本であった。

 

2:そもそも国のビジョンは何かという視点。

 

本書を読んでいて一番勉強になったのは、大統領が服部さんに(中央銀行の担当範囲に限らない)経済再生計画の作成について依頼した場面での服部さんの言葉。「今度どんな経済的な施策をやっていかなくてはならないか」と大統領から聞かれた時に服部さんは以下のように逆に大統領に質問をする。

 

(p42)

「実はその点に関して、まず私から質問したいのですが、閣下の政策は一体どういうものでしょうか。技術は本来中立的なもので、政策あっての技術ですから。」

 

(p43)

「具体的にいえば、ルワンダ経済の急速な成長を求められるのか、それとも成長速度は若干遅くても、国民の向上的な発展を望まれるかということです。」

 

服部さんの仕事として、その国のビジョンに関わらず、中央銀行が機能するための最低限の制度を整えるような仕事ばかりに取り組むのかなと思っていたが、このやり取りが出てきて、「そりゃ特に経済全体に関する計画を作るのだったら、国のビジョンは何かという視点/大統領はどんな熱い想いを持っているのかという視点は大事だよな」と思った。

僕はあたかも自分が服部さんになったかのような気持ちになりながら本書を読んでいたが、「経済の再生を考える上で、まずはそもそもの国のビジョンを確認するのが重要」ということを見落としていたことに気づかされた(僕は普段「どのような社会状態が望ましか」を考える規範的な領域の研究をしているのに自分にこの視点が抜けていたことに驚いた)。

 

結局、外国人の力に依存した急速な成長ではなくルワンダ人の自発的な発展による着実な成長を目指す計画が作成されることになるのだが、服部さんは最後に6年間の自分の仕事を振り返るパートでも首尾一貫してこの点を忘れずに振り返っていた。

 

(p288)

しかし、ルワンダ経済のこの量的拡大も重要であるが、その質的な発展はある意味ではさらに重要である。経済再生計画がルワンダ国民の福祉増進を究極の目的にしていたから、国民大衆を外国人に隷属化させるような経済の量的発展は無意味であるからである。

 

(p289)

ルワンダの経済発展の質的内容を示すものとして不動産所有をあげよう。途上国の多くでは民間外資導入による経済発展の方針をとったため、都会の不動産の大部分が外国人の手に渡っている。しかしルワンダではキガリ(*注:首都)をとっていえば、現在二百近くの商業店舗の半数以上がルワンダ人の所有である。(中略)ケニヤの首都ナイロビやウガンダの首都カンパラの商業用店舗のそれぞれ二割、二割五分のみが国民所有であるのに比べれば、ルワンダ経済の質的発展の意義は明らかであろう。


経済学をやっている人からは「目的関数が大事なのはそりゃ当たり前では?」と言われそうだけど、なんていうかそういうことじゃなくて、「想いがあった上での技術(学問的知見)なのかもな」と思ったということ。普段経済学をやっているときには「熱い想い」とかそういうのってあまり気にせずに単純に目的関数として数式で表現したりするわけだけど、それは「社会を良くしたい」という想いを数式で表現しているってことだったりするわけだよね。数学的なことばかりやっていることで知らずのうちに、「想い」みたいなものの存在をちょっと軽視するようになってしまっていたのかもしれない。

3:情報を鵜呑みにせず、現地にいき話を聞き背後に何があるか考える。

 

経済再生計画を立案するにあたって、ルワンダにいる外国人たちがルワンダの現状について言っていることを鵜呑みにせずに自分の目でルワンダの現状をしっかり見ようとする姿勢も感銘を受けた。

例えばルワンダ人は怠け者だと言われていたが、この点についてもしっかりと自分で確認して、その背後には何があるのかをしっかり探っている。

 

(p130)

私が一番関心をもったのは、ルワンダ人は怠け者かどうかであった。国民が働かなければどんな計画でも失敗に終わる。(中略)家事使用人や一部の官僚から受ける印象は、怠け者という外国人社会の判断を支持するようにも見えた。しかし、私が田舎の道をまわるとルワンダ人の藁葺きの小屋は清潔で、円型の生垣のなかはチリ1つ落ちていない。(中略)朝は六時から起きて働く。とても外国人のいう酒飲みの怠け者という感じは受けない。

 

(p131)

それでは(主要な生産物であるコーヒーの)生産はなぜ落ちているのか。私は彼らと話しているうちに外国人の説と反対に彼らが価格について一つの考えかたをもっていることを発見した。

 

(p132)

なるほどルワンダ人たちは家族の食物は自作しているので、現金は税金や鍬や繊維製品などの輸入物資のために必要なのであり、輸入品がなければ現金を手に入れる必要はないのである。コーヒーの生産が落ちているのはルワンダ人が怠け者だからではなく、物資の供給が不足し、価格体系が悪いから、彼らにとって価値を失った現金収入を捨てて自活経済に後退したというにすぎない。

 

著者自身も属する外国人社会の意見とそれを裏づける数字を鵜呑みにしないでなんでも徹底的に検証していく姿勢はまさしくプロだと感じた。また、「丁寧にヒアリングをする」みたいな地道な作業が重要になってくるのが間違いないが、話を聞くだけではなくてそこからその背後にどういう構造があるのかを鋭く考察することも同時に大事になってくることを痛感した。

4:宗主国との関係はそういうかんじだったのか。

 

ルワンダ人たちの白人に対するコンプレックス、宗主国であったベルギーとの関係など、「植民地から独立する」ということがどういうことか垣間みることができた。元宗主国から支援を受けられたりするなど独自の良さもありそうだったが、その歴史的背景には独自の難しさも伴うことを知ることができた。

 

5:独占や競争というテーマは思ったよりも重要なものだな。

 

外国人たちが独占・寡占している領域が多くあり、そこに対して服部さんは競争を促進するような政策を打ったりしていて、ミクロ経済学で扱われるような「独占」「寡占」「競争の導入」などのテーマについて改めて興味を持つきっかけとなった。また個人的な興味として「競争の導入と公平性」みたいなテーマは今度考えていきたいなと思った。

 

6:意外と宗教の話題は出てこなかったな。

 

これは意外だった。著者があえて書かなかった可能性もあるが、宗教に関する話がほとんど出てこなかった。金融政策にしても宗教的な観点が重要な影響を持つ場面があったりするのかと思っていたが、あまり影響を与えていなさそうで意外だった。

7:1965年の前の時点で日本銀行ってそんなにすごかったんだ。

本書の中では度々、服部さんが交渉の場などで自身の勘を信じてもらうために「私は世界で最も有能な日本銀行に二十年奉職し」という枕言葉をつけていた。1965年より前の時点で、日本銀行はそんなにすごい銀行として世界で認められていたとは知らなかったので意外であった(著者の認識だから実際どうだったかのかは分からないけど)。

 

8:一国の経済って意外と「訳わからないカオス」ではないのかも。

 

僕はミクロ経済学(の中の社会的選択理論)を専攻していることもあって、一国の経済みたいなマクロ経済学の対象については「対象が大きすぎるし色々な領域が複雑に絡まりすぎていて何がなんだか分からない」という印象で色々と諦めていたのだけど、今回服部さんの視点からコンパクトに(おそらく一国の経済としてはとても単純な構造を当時持っていた)ルワンダ経済について説明されることで、「経済全体を考えるとなったらそういうポイントが大事なわけね」という感覚を得ることができた。

これはやはりこの本独自の魅力だと思っていて、例えば日銀総裁の本を読んだとしても担当領域が「経済全体」と比べると限られているし、日本経済は当時のルワンダ経済とは比較にならないくらいぐちゃぐちゃしていてこのような感覚は得られなかったと思う。

9:そりゃ経済だけでは限定的だよね。

経済再生計画で「経済全体」という非常に大きな対象を服部さんは扱ったわけだけど、その実行段階において、国防の問題が発生してせっかく均衡するように作成した予算について予想外の出費で計画通りにいかなかったりと、国防や教育など色々な問題が絡みあっており、「経済」もやはり「社会」の一部であることを実感した。

 

最後に

今回このような記事を書いたことからも分かる通り、「ルワンダ中央銀行総裁日記」はとてもお勧めの一冊です。ただ、最初にも書いた通り、新書とはいえ濃度が半端ないですし、著者のプロフェッショナルとしての覚悟がすごいこともありさくっと読めるかんじではありませんのでご注意ください。いまの読後感としては「めっちゃ面白い本だった!」というより、「読んで本当に良かったな」というかんじです。たぶん僕は将来的にこの本を何回か読み返すことになると思います。

Fin.