ケーキをどう3等分するのが"公平"か?

 

ある漫画で、「目の前にあるホールケーキを公平に3等分してください」というお題が出されていた(その漫画においては特になんの捻りもなく120度ごとに切るのが正解とされていた)。

その漫画(「ケーキが切れない非行少年たち」)は今回の記事とは異なる重要なテーマを扱ったものだったが、そのシーンを読んでいたときに「"公平に3等分"が何を指すのかは”公平”という概念をどう捉えるかによって異なるよなぁ」と少し面倒くさいことが気になった。

自分の研究にも関わる話なので、ホールケーキを3人で分けるという問題を題材に、色々な公平性の概念を考えてみる。

なお、今回は上に乗っている苺をどうするかみたいな話は考えず、単純に1という量のケーキがあるときに、その総量を3人(Aさん、Bさん、Cさん)でどう分けるかについて考える。また例えば「最初に全員がくじ引きをして勝った人が総取りをする」みたいな確率を入れ込むようなことはせず(分ける"手順"のようなものは考えない)、加えてケーキは余らせてはいけないとする。また、割り当てられたケーキを各人はすぐに自分で食べると想定しておく(他の人にあとから売ったりはできないとしておく)。

公平性1:量が等しいという意味で公平。

これは一番単純な公平性の概念。今回でいえば全員に\frac{1}{3}を割り当てる配分がこの公平性を満たす。もちろんケーキを余らせても良いなら全員に\frac{1}{10}を割り当てる配分などもこの公平性を満たす。他の公平性の概念と比べると客観的に明らかな概念であるのは魅力。

公平性2:全員が等しく最大限満足しているという意味で公平。

例えば、Aさんは0.2、Bさんは0.5、Cさんは0.3をもらうのがそもそも一番嬉しいような状況では(多く食べられるほど嬉しいわけではない)、(0.2,0.5,0.3)という配分は全員が最大限満足しているという意味では公平である。ケーキを余らせてはいけないという条件のもとではこの公平性が達成されることは基本的にはないが、実現するときの納得度は高いと思う。また、AさんとBさんはケーキが大嫌いでCさんはケーキが大好きな場合などには、公平性1の概念よりもこちらの公平性の概念の方が、そのような状況において直観的に望ましそうに感じられる配分(0,0,1)を示唆する。

公平性3:嬉しさの度合いが等しいという意味で公平。

個人間比較可能な嬉しさの尺度が存在するという前提に立つ。その上で、Aさんは0.4だけもらうと10だけ嬉しくて、Bさんは0.4だけもらうと10だけ嬉しくて、Cさんは0.2だけもらうと10だけ嬉しいときに、(0.4,0.4,0.2)という配分は嬉しさの度合いが等しいという意味で公平である。「人々の間で比較可能は嬉しさの度合い」が存在するという前提の上ではこの公平性の概念は分かりやすいが、この前提としてはそれなりに強い。

 

公平性4:払っていいお金が等しいという意味で公平。

例えば、Aさんは0.4のケーキに最大で500円まで払って良いと考えていて、Bさんも同じように考えていて、Cさんは0.2のケーキに最大500円まで払って良いと考えている状況では、(0.4,0.4,0.2)という配分は払っていいお金が等しいという意味で(自身が割り当てられたケーキについて「何円までなら出せる」という金額が等しいという意味で)公平である。公平性3のような「個人間比較できる嬉しさ」を持ち出さずにそれに対応するものを払えるお金で(粗いとは知りながら)代替する。例えばお金持ちは大して欲しいと思っていなくても別に1万円出しても良いと思うかもしれないが、普通の人はとても欲しいと思っても1000円しか出せないかもしれないみたいなことも考えられ、やはり粗さは目立つ。



公平性5:それを貰うのと同等である金額が等しいという意味で公平。

これは公平性4と基本的に同じ。こっちは例えばAさんは0.2のケーキに400円まで払っていいではなくて、Aさんにとって0.2のケーキをもらえるのと400円もらえるのが同じのように、"払う”ではなく”貰う”で考えている。

公平性6:そのために受け入れられる痛みが等しいという意味で公平。

公平性4、5ではお金を使っていたが、他にも例えば概念として使い勝手は悪いだろうがこういうのも考えられるという意味では”痛み”なども使える。例えばAさんは0.4のケーキをもらうには針で10回軽く刺されることを我慢でき、Bさんは0.4もらうのに10回まで我慢でき、Cさんは0.2もらうのに10回だけ我慢できるときに、(0.4,0.4,0.2)という配分は、受け入れられる痛み(針の回数)が等しいという意味で公平。

公平性7:羨望が発生していないという意味で公平。

これは”公平”と呼びたくなるが分からないが、経済学において"envy-free(無羨望)"という概念として有名なので挙げておく。例えば全員が\frac{1}{3}という配分は、Aさんは自分に割り当てられたものよりもBさんに割り当てられたものの方が良いと思わない(この場合は全員同じものを割り当てられているので当たり前)という意味でAさんからBさんへの羨望は発生していない。この配分は羨望がないという意味では公平である。また例えば、AさんもBさんもCさんもケーキをどれだけもらっても、もしくはもらわなくても嬉しさは同じであるようなら、配分(0.1,0.8,0.1)などもこの意味での公平性を満たす(どのような配分でもこの公平性は満たされる)。

公平性8:(個人の状況含めた)羨望が発生していないという意味で公平。

先ほどと同じように羨望がないという意味での公平性だが、「Aさんは自分の境遇のままで0.1もらう方が、Bさんと同じ境遇になって0.4もらうよりも良いという意味で羨望はない」のように、今回はケーキだけでなく境遇(または境遇の一部)も含めて他人の方が良いかを考慮する概念である。「もし自分がBさんの境遇になったとしたら、、、、」のような想定をするのがどこまで妥当かは分からないが、例えば貧困家庭への支援、性別による不平等の解消など"境遇”について考える場合には有用だと思われる。

公平性9:ケーキを0.1もらうのと同じくらい嬉しいという意味で公平。

数字は0.1に限らないが、例えばAさんは0.1のケーキをもらうのと0.4のケーキをもらうのではどちらでも同じくらい嬉しいとする。Bさんは0.1のケーキをもらうのと0.3のケーキをもらうのではどちらも同じくらい嬉しいとする。Cさんは0.1のケーキをもらうのと0.3のケーキをもらうのではどちらも同じくらい嬉しいとする。このとき配分(0.4,0.3,0.3)は、全員が等しい量である0.1を貰っているようなものであるという意味では公平。

公平性10:口の大きさとの比率が等しいという意味で公平。

体重とか身長でもなんでも良いのだけど、例えばAさんは0.4のケーキを5口で食べることができて、BさんとCさんは0.3のケーキを5口で食べることができる(ような各人の口の大きさの)状況では、配分(0.4,0.3,0.3)は口の大きさとの比率が等しいという意味で公平。現実的ではないと思いながら考えた概念だが、明らかに体の大きさが異なる人たちにおける配分を考えるときには有用かもしれない。

Fin.


関連記事:ミクロ経済学の知識を前提としたこの分野の研究紹介。

Pazner and Schmeidler(1974)の紹介。