整体で考えた公平性

 

「大学院生です」

と自己紹介すると、

「何の研究しているの?」とたまに聞かれる。

こう聞かれると最近は、

「公平性の研究をしています」と答えることが多い。

人口倫理も研究してるけど、そっちは説明が難しい。





今日は筋肉痛が酷くて近所の整体に行ってきた。

ここの整体の先生はお喋りだった気がするなぁ。





(施術中)




「そういえば、大学院では何の研究をしているの?」

お、来たなこの質問。

「難しそうだから、たぶん聞いても何も分からないと思うけどね」

こう言われると逆にやる気が出る。

「公平性についての研究をしているんです」

「公平性?」

「そうです、公平性。」


「公平性といっても色々な概念を考えることができて、新しい公平性の概念を作れるかなぁとか考えたりしています」

「公平性の概念を作る?」

「そうですね。んー、例えば、この整体にはいくつか電気治療の機械があるじゃないですか。そうすると、例えばどの患者さんにも同じ時間だけ機械を使うとそれは時間が同じという意味では公平ですよね」

「あ、そういうことか。でも症状とかに合わせるのも公平と言えたりするのか」

うわ。めっちゃ察しがいい!

「そうなんです!そうなんです!(ここでテンションが上がる)」

「おっしゃる通り、それぞれの患者さんの症状の度合いに合わせて機械の使用時間を決めるのもある意味では公平と呼びたくなりますよね?」

「そうだね、たしかに」

「こんなかんじに、公平性といっても色々な概念を考えることができて、この状況ではこういう公平性の概念が良さそうとか、この状況ではこっちの公平性の概念が良さそうとか考えたり、あとはそれぞれの公平性の性質について考えたりしています」

「へー、そういうことをしているんだ」

「あ、それでいうね、僕たち整体では複数の先生がいたりすると、先生ごとの治療時間を合わせたりとかもするんだよ。先生ごとに施術時間が大きく違っちゃうと、どの先生に当たったかで不公平が起きたりしちゃうからね」

「おお!そうなんですね!」





今日はこんなかんじの会話をしてきて、

ぶっちゃけ話を振られたときには、どうやって会話を乗り切ろうとしか思っていなかったけど、話してみると研究の話題に想像以上に興味を持ってもらえたし、

それだけでなく、治療を担当する先生によって施術が変わりすぎないように、治療院における平均的な施術時間を決めておいてその上で状況を見て多少の調整するようにしている話とか、先生ごとに腕が違うからどうのこうの話など、公平性について考える上で大きなヒントになる話をいくつも聞けてめちゃくちゃ興味深かったです。

思い切って丁寧に説明しようとしてみて良かったなと思うと同時に、これからもそういう場面があったら積極的に楽しく会話してみたいなと思いました。





あと、ここからはちょっと専門的になるけど、

今回の話が落ち着いたときに(以下は自分の頭の中で考えていたことだけど)

「公平性」の概念の1つとして、「羨望がない(他人が得るものをうらやましく思う気持ちが発生しない)」という意味での公平性の概念があるけど、整体の文脈ではどんな風に式化できるんだろうとか考えていました。

 

ちょっとここに書いてみようかなと思います。

まずセットアップとして、

患者さんの集合をN=\{1,2,...,n\}として、その整体の先生の集合をAにしてみる。あとは患者1人について機械の可能な使用時間全体からなる集合を[0,\bar{T}]としておく。そして各患者i\in NS=A\times [0,\bar{T}]上に選好\succeq_iを持っているとする。*1

(a_i,t_i)\in Siさんの施術状況を表して、それを組にした( (a_1,t_1),...,(a_n,t_n) )\in S^nを施術ベクトルと呼ぶ。

みたいにしておくと、

施術ベクトル( (a_1,t_1),...,(a_n,t_n) )
無羨望の意味で公平であるとは、

任意のi,j\in Nについて、
(a_i,t_i)\ \succeq_i\ (a_j,t_j)が成り立つことである。


と定義できそう。

つまり、それぞれの個人について他の人が受けた施術よりも自分が受けた施術の方が望ましいというときに「羨望ない」という意味で公平であるとする。これで1つ公平性の概念ができた!

ただこれだと、症状が重い人に対して重点的な施術をすると「不公平」ということになってしまいそうで(症状の軽い人からすると自分もあれだけ丁寧に時間をかけてやってほしいなとか思いそうなので)、公平性の概念として使い勝手が悪い部分があるかもしれない(これはこれで大事な公平性の概念ではあると思うけど)。

そうすると、無羨望の公平性に似ているけどそれを拡張したような公平性の概念として次のようなものも考えてみたくなる。

(やりたいこととしては、「あの人の受けている施術は羨ましいけど、自分があの人の症状になってあの人が受けている施術を受けるくらいなら自分は自分の症状のままで自分の施術を受けたいな(症状の度合いまで考慮すると羨ましくないな)」みたいな症状も含めた無羨望の概念の定式化)

まずはセットアップを少し充実させる。

個人iさんの症状の度合いを\bar{d}_i\in \mathbb{R}_{+}で表す。そしてiさんの選好についてはS上ではなく\mathbb{R}_{+}\times S上に選好\succeq_i^*を持っているとする。Utility Functionの形で書くとu_i(d_i,a_i,t_i)となっており、「症状の度合いがd_iで施術が(a_i,t_i)の時にどのくらい嬉しいか」を表す。

つまり先ほどのセットアップにおいては各個人が持っている選好は「施術」と「施術」を比べるようなものであったが、今回は「仮に自分の症状の度合いがこの程度のときにこの施術を受ける」のと「仮に自分の衝動の度合いがこの程度のときにこの施術を受ける」のではどちらがいいかの比較をする(自分の実際の症状の度合いである\bar{d}_i以外の症状の度合いになった場合のことも仮想的に想像することになる。そのような集合上に選好を持っていると想定するのはそれなりに強い要求ではある)。

こうやってセットアップを充実させた上で、

施術ベクトル( (\bar{d}_1,a_1,t_1),...,(\bar{d}_n,a_n,t_n) )
症状の度合いも含めて無羨望の意味で公平であるとは、

任意のi,j\in Nについて、
(\bar{d}_i,a_i,t_i)\ \succeq_i^*\ (\bar{d}_j,a_j,t_j)が成り立つことである。


のように定義することができそうです。

おー、なんかいいかんじに色々と定義できて楽しいなぁ、みたいなことを思っていました。

 

(ちなみに、症状など本人の特性も含めた無羨望の概念はMarc Fleurbaeyさんによって色々と研究されています)

Fin.




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*1:もちろん実際にはその先生に何分間施術してもらったかの情報とかも入れた方が現実的だろうけど、今回は分かりやすくこのくらいに。